ペルーが今夜、10年で9代目の大統領を選ぶ2026年4月12日、日曜日。アンデス山脈の西側、太平洋に面した長い国土に散らばる投票所で、ペルーの人々が一票を投じている。10年で9代目という数字を耳にするたび、私はため息にも似たものを感じる。これは民主主義の劣化なのか、それともラテンアメリカ特有の政治文化の表出なのか。答えを急ぐ前に、まずこの国と日本との関係、そしてその背後にある歴史を見つめ直したい。アルジャジーラは投票日朝、首都リマの投票所の長蛇の列を伝えている。
10年で9代目という異常事態名前を並べるだけで、ペルーの政治的混乱の深さが伝わる。オジャンタ・ウマラ、ペドロ・パブロ・クチンスキ、マルティン・ビスカラ、マヌエル・メリノ、フランシスコ・サガスティ、ペドロ・カスティジョ、そしてディナ・ボルアルテ。ここに今日選ばれる新大統領が加わる。汚職、弾劾、辞任、自己クーデター未遂、議会解散、暴動鎮圧での死者。どの大統領にも何らかの悲劇が付きまとい、任期を全うせずに去っていく。国家の頂点がこれほど目まぐるしく交代する国は、現代の民主主義世界でもほとんど例がない。
歴史的背景に潜むものペルーの現在の混乱を、単なる個々の政治家の問題として片付けるのは浅薄だ。この国は、植民地時代に築かれた沿岸エリートと、アンデス山脈の先住民系住民、そしてアマゾン地域の多様な民族の間で、深刻な経済格差と政治的発言力の偏在を抱えたまま、21世紀を迎えてしまった。1980年代のアラン・ガルシア政権下でのハイパーインフレーション、フジモリ政権下での新自由主義改革、そしてその後の資源ブームと資源価格下落。こうした歴史的な振幅の中で、人々の生活水準は上下を繰り返し、政治への信頼は蝕まれていった。カスティジョが2021年に当選したのは、その不満の集大成だった。だが、彼が2022年12月に議会解散を宣言し、自己クーデターを試みたことで、左派政権の正統性も根本から傷ついた。
ボルアルテ政権と弾劾の影カスティジョの逮捕後、副大統領から昇格したディナ・ボルアルテの政権は、当初は秩序回復を期待された。しかし、抗議デモに対する治安部隊の強硬対応で、アンデス地域を中心に数十人の市民が死亡した事件は、国際人権団体から厳しい批判を浴びることになった。汚職疑惑も相次ぎ、支持率は歴史的な低水準に落ちた。特に2023年から2024年にかけて、野党勢力による彼女の弾劾を求める動きが活発化した。結局、弾劾訴追には至らなかったものの、議会内での敵対関係は深刻化し、政策立案の機能は著しく低下した。アメリカズ・クォータリーは、ペルーの鉱山地域での抗議活動が政権の正統性の危機と直結していることを繰り返し論じてきた。つまり、この国の政治危機は単なる首都の権力闘争ではなく、地方の生活と国家統治の断絶が根本にある。ボルアルテ政権末期の2024年から2025年にかけて、その機能不全は極に達した。
日本から見るペルーここで視点を変えてみたい。日本から見るペルーとは何か。一般の日本人にとって、ペルーという名前から連想されるのは、マチュピチュ、ナスカの地上絵、そしてアルベルト・フジモリ元大統領だろう。だが、日本の産業界にとってのペルーは、まったく別の顔を持っている。それは銅の国であり、亜鉛の国であり、リチウムの可能性を秘めた国である。住友金属鉱山のセロ・ベルデ銅鉱山は、世界でも有数の銅生産量を誇る施設だ。三菱商事が主要株主として参画するラス・バンバス銅鉱山も、ペルーの銅輸出の重要な一翼を担っている。三井物産、JOGMEC(エネルギー・金属鉱物資源機構)もこの国の資源開発に深く関わっている。
EV時代の資源戦略と気候変動なぜ、これらの鉱山が今、特別な意味を持つのか。答えはシンプルだ。電気自動車(EV)と再生可能エネルギーへの世界的な移行が、銅とリチウムの需要を爆発的に押し上げているからである。EV一台は、従来の内燃機関車の数倍の銅を使う。電力インフラの強化、太陽光パネル、風力発電、すべてが銅を必要とする。2050年までにカーボンニュートラルを目指す日本にとって、銅の安定供給は国家戦略の核心に位置づけられる。同時に、気候変動への適応と緩和が急速に進む中で、ペルーのような資源国の地政学的重要性も劇的に高まっている。干ばつによるアンデス地域の水不足は、鉱山操業そのものにも影響を与え始めている。水資源とエネルギー生産、そして鉱物採掘をめぐる競合関係は、今後ペルーの内政と外交の焦点となるだろう。中国がこの資源を求めて、ペルーへの投資と外交的関与を急速に拡大している現状は、日本にとって警戒すべき事態である。
ラス・バンバス鉱山をめぐる攻防ラス・バンバス銅鉱山は、ペルーが誇る鉱山の一つだ。クスコとアプリマック地域の境界に位置する広大な採掘地では、年間50万トン以上の銅が採掘されている。三菱商事が筆頭株主の一つであり、日本の鉱物戦略に占める比重は極めて大きい。しかし、この鉱山の周辺コミュニティは、採掘による環境汚染と経済的不公正に苦しめられてきた。2020年から2022年にかけて、地元住民による大規模なストライキが相次ぎ、鉱山操業は何度も停止した。カスティジョ政権下では、先住民の権利を掲げる政治グループがこうした抗議を支持し、鉱山への税負担増加を求めた。ボルアルテ政権でも、この緊張関係は解消されていない。同時に、中国はこの混乱に乗じて、ペルーの鉱山企業への投資と支配権の拡大を進めている。数年前、中国の企業がラス・バンバスの追加権益取得を検討していたという報道もあり、日本の影響力の相対的低下への危機感は深い。
日系ペルー社会の重みもう一つ、決して見過ごせない視点がある。日系ペルー社会の存在だ。1899年、佐倉丸がカヤオ港に到着したとき、日本からの集団移民が始まった。その後、計20万人以上の日本人がペルーに渡った。サトウキビ農園での過酷な労働、差別、第二次世界大戦中の強制送還、そして戦後の再建。幾多の試練を乗り越えながら、日系社会はペルーの農業、商業、金融、そして政治の舞台にまで広がっていった。1世紀を超える歴史の中で、日系ペルー人たちは独特の文化的同一性を守りながら、ペルー社会への統合を進めてきた。戦後、特に1970年代以降の日本の経済成長とともに、日系企業もペルーでの事業を急速に拡大した。今日のペルー経済における日本の存在感は、単なる個別企業の活動ではなく、この歴史的な厚みに支えられている。
フジモリ時代と日系社会その頂点に立ったのが、1990年に大統領に就任したアルベルト・フジモリだった。農業技術者の息子として生まれた彼は、1980年代のペルーの民族主義的政治エリートの中では、ユニークな存在だった。彼のハイパーインフレ制圧と、テロ組織『センデロ・ルミノソ』の壊滅は、多くのペルー国民から評価を受けた。同時に、日系の出身者が大統領に就任したことは、日系社会にとって象徴的な快挙だった。彼の統治は、新自由主義的な経済改革と、秩序維持のための強権的手法が混在していた。だが同時に、彼は議会解散、憲法改正、強制不妊手術、特に先住民女性に対する優生学的政策、そして国家機関による秘密裏の暴力行為など、民主主義と人権の観点から見て深刻な問題を残した。その遺産は今もペルー政治の底流を流れている。フジモリ政権下での経済成長の恩恵を受けた日系ビジネスエリートと、その強権性に反発する進歩的知識人との分裂は、日系社会内部にも深刻なひび割れをもたらした。
ポピュリズムの遺産アルベルト・フジモリは後に汚職罪と人権侵害罪で投獄された。しかし、娘のケイコ・フジモリは『フエルサ・ポプラル(人民の力)』党を率いて、何度も大統領選挙に挑戦し続けている。2016年、2021年の選挙では最終ラウンドまで進み、わずかな差で敗北した。その敗北は、ペルー社会におけるポピュリズムの深さを示している。ケイコ・フジモリの政治スタイルは、父親の遺産を巧妙に活用しながら、反エスタブリッシュメント的なレトリックを展開する。息子のケンジ・フジモリも議員として政治活動を続けている。フジモリという名前は、ペルーの政治地図の中で、支持と反感の双方を激しく呼ぶ記号となっている。今回の選挙においても、フジモリ派の動向は少なからぬ影響力を持つ。カスティジョの台頭が『左派ポピュリズム』であれば、フジモリ家の継続的な影響力は『保守的ポピュリズム』と呼べるだろう。ペルーのポピュリズムの左右両翼から、既存制度への挑戦が繰り返される。この構造こそが、大統領の頻繁な交代を生み出す本質的なメカニズムなのだ。
ラテンアメリカの民主主義危機ペルーの問題を、ペルー固有の問題として矮小化してはならない。ベネズエラの独裁化、ニカラグアの権威主義化、ボリビアの政治不安定性、エクアドルの治安危機、メキシコの麻薬問題。ラテンアメリカ全体が、民主主義と統治の構造的な試練に直面している。ポピュリズムの台頭、反エスタブリッシュメント感情の爆発、中産階級の縮小、司法の独立性の侵食。これらの共通の症状は、新自由主義の行き詰まりと、社会契約そのものへの信頼崩壊を反映している。そして、その隙を突くように、中国の経済的・政治的な影響力が拡大してきた。一帯一路、資源取引、インフラ投資。米国の関与が相対的に弱まる中で、ラテンアメリカはますます多極化の舞台となっている。ペルーは、その最前線の一つだ。
リチウムと水資源をめぐる将来銅と亜鉛に加えて、ペルー南部には世界的に貴重なリチウム資源も眠っている。アタカマ塩湖地域の採掘ポテンシャルは、チリとアルゼンチンのそれに比べて知名度は低いながらも、世界のリチウム需要が今後数十年で倍増するという予測の中では、極めて重要な資源源となるだろう。しかし、リチウム採掘には膨大な水が必要であり、それはアンデス地域の農民とコミュニティの淡水資源と競合する。気候変動により干ばつがさらに激化する中で、この競合関係は近い将来、激烈な政治対立に発展する可能性が高い。日本企業がペルーでのリチウム開発に投資する際、この構造的ジレンマを無視することはできない。
ポピュリズムという名の誘惑カスティジョの台頭を『左派ポピュリズム』と呼ぶのは簡単だ。だが、彼がなぜ支持を得たのかを考えれば、単なるイデオロギーの問題ではないことが分かる。アンデス地域の貧困、都市中心の経済政策への不満、既存政党への深い失望。これらの条件が揃ったとき、既存制度への挑戦者は必ず現れる。問題は、彼らが制度を改革するのか、それとも制度そのものを破壊するのか、という選択にある。カスティジョは後者の道を選び、その結果、左派全体の信頼まで失わせてしまった。今回の選挙でどのような候補者が有力視されるのであれ、同じ誘惑と同じ罠が待ち構えている。制度の改革には時間と忍耐が必要だが、ポピュリズムは急速な解決を約束する。その魅力は、絶望した人々にとっては抗いがたい。
日本の関与という問い日本はこの状況にどう向き合うべきか。単に自国の資源確保のために、政治的安定を望むというだけでは、あまりに狭い視野だ。日本はかつて、政府開発援助(ODA)を通じて、ペルーのインフラ建設、教育、医療分野に深く関わってきた。JICAの専門家たちは、現地の行政能力の向上や、地方開発に貢献してきた。こうした取り組みを、今こそ強化すべきではないだろうか。単なる鉱山開発のための政治的安定ではなく、ペルー国民自身が自分たちの制度を再建する過程を、日本は側面から支援できるはずだ。その意味で、日系ペルー社会の存在は、日本とペルーをつなぐ貴重な人的資源である。1世紀近くの歴史の中で蓄積された信頼と人的ネットワークは、単なる商業的価値を超えた、文明的資産だ。
ポジティブなシナリオ仮に今回の選挙で、制度改革に真剣に取り組む候補者が当選し、議会との協調的な関係を築くことができれば、ペルーの政治は短期的にも中期的にも安定に向かう可能性がある。憲法改正、選挙制度の見直し、地方分権の強化、汚職対策の強化。こうした構造改革が進めば、投資家の信頼は徐々に回復し、鉱山操業は安定化する。日本企業にとっても、銅の供給安定化というメリットは大きい。ペルー北部の鉱山開発も順調に進むようになるだろう。同時に、ペルー国民にとっても、生活水準の向上と政治参加の実感が得られるだろう。ラテンアメリカ全体にとっても、ペルーが民主的安定のモデルとなることは、大きな意味を持つ。日系ペルー社会も、より安定した環境で、次世代への文化的遺産の継承と、両国関係の深化に力を注ぐことができるようになる。
ネガティブなシナリオだが、私はこの楽観的な展望を完全には信じられない。過去10年の経験が示しているのは、どのような候補者が当選しても、ペルーの政治制度は彼らを飲み込んでしまうということだ。議会との対立、汚職、社会運動の分断、そして最終的には失墜。この循環は、制度そのものの抜本的な改革なしには断ち切れない。そして、そのような抜本的な改革を実行するには、膨大な政治的資本と、長期的な時間軸が必要だ。今日選ばれる新大統領が、その重責を担えるかどうかは、私には確信が持てない。もし従来のパターンが繰り返されれば、数年後には再び新しい大統領が選ばれることになるだろう。地域コミュニティの不信感は深まり、ストライキは増加し、鉱山操業はさらに不安定化するかもしれない。中国の影響力は着実に拡大を続け、気づいたときには日本の選択肢は大きく限定されているかもしれない。
日系社会の未来こうした不確実性の中で、日系ペルー社会はどのような道を歩むのか。フジモリ家の政治的影響力が再度拡大するのか、それとも世代交代とともに新しい役割を模索するのか。日本本国から見れば、日系社会は単なる『在外邦人』の集団ではなく、日ペ両国をつなぐ文化的・経済的な橋である。今日投票に向かうペルー国民の中には、日系の人々も含まれている。彼らが一票に込める思いは、祖先の移住の記憶と、現在の生活の実感と、未来への希望が混じり合ったものだろう。1世紀前、アンデスの山々を前にして、言葉も風習も全く異なる土地で、彼らの祖先たちが営んできた営みは、今ここに、ペルーの有権者の中に脈々と受け継がれている。その重みを感じることなしに、ペルーの将来を論じることはできない。
問いで締める今夜、開票結果が明らかになるとき、私たちは何を見るのだろうか。単なる新しい大統領の名前か、それとも制度的な変化の兆しか。あるいは、従来の混乱の継続か。答えは、投票所から出てくる市民たちの表情の中に、そしてその後の数ヶ月、数年のペルーの動向の中に、徐々に現れてくるだろう。日本にとって重要なのは、この国を単なる資源供給国として見るのではなく、一つの複雑な民主主義社会として、その歩みに敬意を払い、長期的に関わり続けることではないだろうか。気候変動が加速する世界の中で、ペルーの安定性と発展は、日本だけでなく、世界全体の持続可能性に直結している。銅とリチウムは、そのための道具に過ぎない。本当に問われているのは、日本がペルーという国の複雑さにどこまで向き合えるか、その誠実さなのだ。そして、日系ペルー社会という貴重な橋を通じて、両国の関係をより深く、より対等なものへと育てていくことが、今こそ求められているのではないだろうか。
この記事を書いた人
灰島
30代の日本人。国際情勢・地政学・経済を日常的に読み続けている。歴史の文脈から現代を読むアプローチで、世界のニュースを考察している。専門家ではないが、誠実に、感情も交えながら書く。


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