84人の船員の遺体が帰る国——イランとアメリカの間に横たわるもの

84人の船員の遺体が帰る国——イランとアメリカの間に横たわるもの 中東

こういうニュースがあった。BBCの報道によると、今年3月4日にスリランカ近海でアメリカの潜水艦による魚雷攻撃を受けて沈没したイランの軍艦「アイリス・デナ」の乗組員84名の遺体が、ようやく本国に送還されることになったという。

軍艦が沈められたという事実そのものも衝撃的だが、僕がまず考えてしまったのは、84人という数字の重さだった。84人。それぞれに名前があり、家族がいて、帰りを待っている人がいた。遺体が戻ってくるというニュースは、その家族にとって「終わり」なのだろうか。それとも、ようやく悲しみの入り口に立つということなのだろうか。

なぜこんなことが起きたのか。イランとアメリカの関係は、1979年のイラン革命以来、もう半世紀近くにわたって断絶と対立を繰り返してきた。かつてはアメリカがイランのパフラヴィー朝を支援し、革命後は一転して敵対関係に入った。核合意をめぐる交渉が一時的な雪解けを見せた時期もあったけれど、その合意からアメリカが離脱して以降、両国の緊張は再び深まっていた。ペルシャ湾やインド洋での軍事的な睨み合いは日常的なものになっていたし、スリランカ近海という場所での衝突は、イランの海軍がどこまで活動範囲を広げていたかを示すとともに、アメリカがそれをどれほど警戒していたかも物語っている。

イランという国について、僕たちはどれだけ知っているだろうか。ペルシャ文明の末裔であり、詩と哲学の伝統を持ち、ハーフェズやルーミーといった詩人たちの言葉は今も世界中で読まれている。イランの人々の客人をもてなす文化は深く、旅行者がその温かさに驚いたという話を何度も聞いたことがある。政治的な対立の構図だけで語られがちな国だけれど、そこに暮らす人々の日常は、僕たちの想像よりもずっと豊かで、ずっと人間的なものだと思う。

Xで「Bodies Iranian sailors」と検索してみると、さまざまな声が目に入ってくる。遺族への同情を示す投稿もあれば、軍事的な正当性を主張する声もある。イラン国内からの怒りの声、第三国からの冷静な分析、そしてただ「悲しい」とだけ書いている人。立場が違えば見え方がまったく変わるということを、こういうとき痛感する。どれが正しいかを決めることは僕にはできないけれど、84人の命が失われたという事実だけは、どの立場から見ても変わらない。

日本にとって、この出来事は遠い海の上の話に見えるかもしれない。でも、そうではないと思う。日本はエネルギー資源の多くを中東からの輸入に頼っている。ペルシャ湾やインド洋の安全保障環境が不安定になれば、原油の輸送ルートに影響が出る可能性は常にある。すでにエネルギー価格の高騰に苦しんでいる日本の家計や企業にとって、この地域の緊張の高まりは決して他人事ではない。一方で、日本はイランとも、アメリカとも独自の外交関係を築いてきた国だ。中東和平に向けた対話の橋渡し役を担おうとしてきた歴史もある。直接的な軍事力ではなく、対話と経済協力を通じて国際関係を構築しようとする日本の姿勢は、こうした局面でこそ意味を持つのではないかと思う。

この先のことを考えると、いくつかの道筋が見える。もしこの事件をきっかけにイランとアメリカの対立がさらにエスカレートすれば、ホルムズ海峡の緊張が高まり、原油価格の急騰、世界経済の混乱、そして日本の物価へのさらなる打撃という連鎖が起きかねない。中東全体が不安定化する最悪のシナリオも、頭の隅に置いておかなければならない。けれど、もう一つの道もあるはずだ。遺体の送還という行為自体が、敵対する国同士の間にもなお残る人道的な回路の存在を示しているとも言える。この回路を細い糸として、対話の糸口につなげることができれば、緊張の緩和に向かう可能性もゼロではない。第三国や国際機関の仲介が機能すれば、少なくとも軍事的な衝突の連鎖を止めることはできるかもしれない。

84人の遺体が故郷の土を踏むとき、待っている家族はどんな顔をするのだろう。その光景を想像すると、胸が詰まる。僕にできることはほとんど何もないけれど、せめてこの出来事を知っていたいと思う。知って、考えて、忘れないでいること。それが、遠い国に暮らす一人のブロガーにできる、たぶん唯一のことだ。この細い人道の回路が、いつか対話の太い道に変わる日が来ることを、静かに願っている。

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