船の上には隠れる場所がない。ペルシャ湾に取り残された船員たちのこと

船 ペルシャ湾 世界情勢
Photo by Lukas Kienzler on Unsplash

船の上には隠れる場所がない。ペルシャ湾に停泊したまま動けなくなっている複数の船で、多くの船員たちがドローンや巡航ミサイル、戦闘機が頭上を飛び交う光景を日常として過ごしているという。BBCの報道が伝えたこの状況は、2026年3月の中東海域で起きていることの核心を余すところなく言い表している。鉄の船体の上で空を見上げることしかできない船員たちの姿は、地政学的な争いの「代償」を最も無防備な形で引き受ける人々の存在を改めて私たちに突きつけた。彼らは兵士ではない。武装もしていない。政治的な決定にも、軍事的な命令系統にも属していない。ただ生活のために海に出た普通の人々が、遠い首都の権力者たちが下した決断によって、命の危険にさらされたまま、沖合に取り残されている。この現実を「遠い海の出来事」として目を背けることは、私にはどうしてもできない。なぜなら、彼らをそこに至らせた構造的な問題は、日本が原油を輸入し、物資を世界中から海上輸送に頼って生活している現実と、切り離せないからだ。

2025年末の空爆がペルシャ湾を一変させた。2025年11月から12月にかけて実施された米国とイスラエルによるイラン核施設への共同攻撃は、中東海域の安全保障環境を根本的に変えた。イランはただちに報復として、革命防衛隊(IRGC)の精鋭海上部隊を活性化させ、イエメンのフーシ派との連携を強化することでペルシャ湾とオマーン湾での海上封鎖戦術を本格化させた。それまで「懸念されるリスク」として保険会社が記録していたものが、「毎日の現実」として船員たちの日常を塗り替えた。多くの商船が港への入港を拒否され、あるいは保険会社から「危険水域」として認定された海域を航行することを禁じられた。結果として湾内に停泊したまま身動きが取れない状態に置かれた船が相次いだ。一方で乗組員を完全に引き上げれば積荷は放棄されることになり、それを契約条件として許可しない船会社も多い。積荷の価値、保険の条件、運航コストの計算。それらすべてが「人の命」よりも優先される構造の中で、進むも退くも許されない船員たちはただ空を見上げている。

ペルシャ湾の歴史は外部勢力による介入と紛争の反復だ。この海が記録に残る形で国際的な争いの舞台になったのは、現代に限ったことではない。16世紀にはポルトガルがホルムズを占領し、アジアとヨーロッパを結ぶ海路を独占した。17世紀にはオランダとイギリスが覇権を競い、オランダ東インド会社とイギリス東インド会社が湾岸の港を次々と押さえていった。19世紀にはイギリスが現在のUAE沿岸を「海賊海岸」と呼んで制圧し、バーレーンとクウェートを保護領とした。石油が発見された20世紀以降は、利権をめぐる大国の干渉はさらに激化した。1980年に始まったイラン・イラク戦争では、両国が互いの石油タンカーを攻撃し合う「タンカー戦争」が本格化し、민間船舶が直接の軍事ターゲットになるという前例が作られた。この時期に商船を護衛するため、アメリカがクウェートのタンカーに星条旗を掲揚して護衛する「アーネスト・ウィル作戦」を展開したことは、現在の事態と多くの類似点を持つ。その後も湾岸戦争、イラク戦争、フーシ派の台頭と、この海は一度として完全に平和になったことがない。今回の事態はその長い歴史の連続線上にあり、毎回同じ問いが繰り返される。「次はどうするのか」、そして「誰が代償を払うのか」という問いが。

船員の置かれた構造的な脆弱性を直視しなければならない。世界の商船に乗り組む船員の多くは、フィリピン、インドネシア、インド、ミャンマー、中国といったアジア途上国の出身だ。国際労働機関(ILO)の推定では、世界の商船乗組員総数は約186万人で、そのうちフィリピン出身が約36万人、中国が約25万人、インドネシアが約14万人、インドが約12万人という構成になっている。彼らの多くは本国の家族への仕送りを生活の柱としており、過酷な労働環境であっても雇用契約の更新を望む。「危険だから今回の航海を断る」と宣言できる立場にない船員がほとんどで、雇用者側もそれを知った上で契約を結んでいる。国際海事機関(IMO)は船員の安全に関する基準を定めているが、武力紛争のリスクが高い状況での具体的な避難プロトコルや退船の判断基準は整備されておらず、今回のような「戦闘域での漂流」を想定した法的保護の枠組みはほぼ存在しない。命の危険にさらされながらも仕事を続けることを事実上強いられる構造は、20年前から国際的な労働団体が問題提起してきたにもかかわらず、本質的な改善がなされていない。

なぜ各国政府は動かないのかという問いがある。民間船舶の乗組員保護のために軍艦を紛争海域に派遣するには、国内法と国際法の双方で明確な根拠が必要だ。日本は海上自衛隊の護衛艦を交戦地域に派遣する法的権限を現行法では持っておらず、海賊対処法の適用範囲もイランのIRGCや同盟する非国家主体による攻撃には及ばない。アメリカは第5艦隊を通じて湾岸諸国に強力な海軍プレゼンスを維持しているが、それが停泊中の民間船舶の乗組員一人一人を直接守ることにはならない。欧州連合は「アスピデス作戦」として紅海での商船護衛を開始したが、ペルシャ湾奥部での活動は限定的だ。政治指導者たちは軍事力の行使について常に「自国民の保護」を最優先として国内世論に説明するが、外国籍の船員のために自国の軍艦を危険にさらすことを国内有権者が支持するかどうかは、また別の政治問題になる。国家の論理と人道の論理の間で、船員たちは見捨てられている。その構造を変えない限り、次の危機でも同じことが繰り返される。

楽観的なシナリオとして外交解決への道筋は存在する。2023年にサウジアラビアとイランが中国の仲介で国交を回復したことは、中東における宿敵同士の和解が不可能ではないことを示した歴史的な先例だ。イランも核合意(JCPOA)の枠組みを完全に否定しているわけではなく、段階的な制裁解除と引き換えに核開発活動を制限する方向性は、過去の交渉経緯から読み取れる。もし米イラン間の外交チャンネルが再開し、信頼醸成措置(CBM)を積み上げながら緊張緩和のロードマップが合意されれば、ペルシャ湾の航行安全は急速に回復する可能性がある。湾岸協力会議(GCC)諸国も、長期的な戦争継続よりも地域の経済的安定と観光・投資の活性化を望む傾向が強まっており、和解への圧力が外部からも高まっている。こうした外交的努力が機能すれば、停泊中の船員たちが安全に陸に上がれる日は遠くないはずだ。

悲観的なシナリオでは状況はさらに深刻化する。イランが全面的なホルムズ海峡封鎖に踏み切る可能性は現時点では低いと見られているが、フーシ派の攻撃が繰り返されるうちに「偶発的なエスカレーション」が起きるリスクは現実的だ。もし商船を誤って撃沈するような事態が起きて、乗組員に大量の死傷者が出れば、世論が一気に「報復」を求める方向に動く可能性がある。そうなれば局地的な軍事衝突が起き、ホルムズ海峡が実質的に機能不全に陥るかもしれない。仮に世界の石油輸送の20%が止まれば、エネルギー価格の急騰は1973年のオイルショックに匹敵するか、それを上回る経済的ダメージを世界にもたらす。日本のガソリン代、電気代、食料品価格が同時に跳ね上がり、コロナ禍以上の物価高騰が日常を直撃するシナリオを、私は否定できない。さらに、イランが拘束した船員を外交交渉のカードとして使う可能性も排除できない。過去の前例がそれを示している。

関連する数字でこの問題の規模と重さを確認する。ホルムズ海峡は1日あたり1700万〜2000万バレルの原油が通過する世界最重要の石油輸送チョークポイントで、これは世界の海上石油貿易全体の約20%にあたる。日本の原油輸入に占める中東のシェアは約90%で、中東の航行安全は日本のエネルギー安全保障の生命線そのものだ。現在ペルシャ湾・オマーン湾周辺で操業または停泊中の商船は数百隻規模と推定され、乗組員数は推定5000人以上に上るとされる。2023年以降、フーシ派の攻撃を受けた商船は50件を超え、少なくとも4隻が撃沈または大規模損傷を受けた。海運大手の保険ブローカーは紅海・ペルシャ湾のリスクプレミアムを2023年比で3〜5倍に引き上げており、この追加コストが世界的な物流費を押し上げ、消費者物価への転嫁が続いている。船員一人が緊張海域での航行に応じることで受け取る「危険手当」は、通常の給与の20〜50%増とされるが、それが「十分な補償」かどうかは、命のリスクと対比して測るしかない。

日本はこの問題に正面から向き合う責任がある。日本は世界第3位の海運国であり、日本籍または日本資本が関与する船舶は世界の海上輸送量の約10%を担っている。ペルシャ湾に取り残されている船員の中には、日本企業が雇用するフィリピン人やインドネシア人の乗組員が含まれている可能性が高い。外務省は危険情報を通じて「危険水域への渡航自粛」を呼びかけているが、すでに湾内にいる船員を物理的に救出する手段は現行法の枠内では存在しない。この制度的な空白を埋めるための法整備が必要だ。また、日本が持つ外交的な強みも活かせる。日本はアメリカの同盟国でありながら、イランとも一定の外交関係を維持できる数少ない国のひとつだ。日本が中立的な仲介者として「船員の安全確保」というヒューマニタリアンな観点から働きかけることは、大国の争いには持ち込みにくい「人道」という共通の言語で対話の糸口を作る可能性がある。「船の上には隠れる場所がない」というその声に、日本はどう応えるのか。問い続けることをやめてはならない。この問いを手放した瞬間に、私たちも遠い海の無関心な傍観者になってしまう。

同じ危機が繰り返されないための国際的な仕組みを考える。今回の事態が示す最大の問題は、民間海運の安全保障が国際社会の「共有財産」として十分に守られていないことだ。各国の商船が国旗のついた軍艦に守られているのではなく、荷主や船会社の利益計算の中に「人命のコスト」が正確に折り込まれていない。これを変えるためには、IMOを中心とした国際的な枠組みの強化が必要だ。具体的には、紛争海域での商船乗組員の緊急退船権を明文化した条約の整備、乗組員が雇用契約の不利益なしに「危険回避」を宣言できる国際的な保護制度の創設、そして有志国による非戦闘員保護を目的とした海上安全保障コンソーシアムの設立といった方向性が考えられる。日本はこうした国際的な仕組みづくりにリーダーシップを発揮できる立場にある。軍事力ではなく、制度設計と外交による安全の追求。それが日本の役割だと私は思う。

この現実から私たちが学ぶべきことを最後にまとめる。今回ペルシャ湾に取り残された船員たちは、世界経済の動脈を支えながらも、そのリスクを自分たちの体で引き受けている。彼らの存在があって初めて、日本のコンビニには商品が並び、工場は原材料を確保でき、私たちの暮らしは成り立っている。それなのに、危機が起きると彼らは真っ先に置き去りにされる。この不均衡は偶然ではない。構造的な問題だ。そして構造的な問題は、社会が意識して変えようとしない限り変わらない。船の上に隠れる場所がないなら、船員が危険な海域に出なくて済むような世界を作るしかない。それは外交と制度と、そして一人一人の関心によってしか実現しない。今日のニュースを読んで「遠い話だ」と感じた自分を、私はまず疑うことにしている。

歴史を知ることが今の危機を理解する近道だ。1987年のアーネスト・ウィル作戦、1990年の湾岸戦争勃発前後の混乱、2011年のアラブの春とその余波、2019年のサウジ石油施設攻撃、2023年のフーシ派攻撃本格化——これらの出来事はすべて「前例」として記録されており、今回の危機を理解するための文脈を提供している。歴史が繰り返すのではなく、私たちが歴史から学ぶことを怠るから似たような問題が起き続ける。今ペルシャ湾に停泊している船員たちが直面している現実は、歴史のどこかで一度は見た光景だ。だからこそ、今度こそ学ぶ機会にしなければならない。国際社会の集団的な意志と制度が、個人の命を守る方向で機能する仕組みを作ることが、この問題への答えだ。それは夢想ではなく、今日から始められる現実の政策課題だ。

この記事を書いた人

灰島

30代の日本人。国際情勢・地政学・経済を日常的に読み続けている。歴史の文脈から現代を読むアプローチで、世界のニュースを考察している。専門家ではないが、誠実に、感情も交えながら書く。

コメント

🇯🇵 JA🇺🇸 EN
タイトルとURLをコピーしました