「平和学習」という言葉の裏側に、私は回路図を描こうとしている。2026年3月16日に沖縄県名護市辺野古沖で2隻の抗議船が転覆し、同志社国際高等学校2年生の武石知華さん(17歳)と船長の金井創さん(71歳)が亡くなった事故について、第1回では安全管理の崩壊を、第2回では船を動かしていた組織の構造を、第3回ではメディアの沈黙と遺族の発信を書いた。今回は、そもそもなぜ17歳の高校生が辺野古の抗議船に乗ることになったのか、その経路を辿る。平和学習と呼ばれるプログラムの内側で、誰が何をつないでいたのか。組織の名前と資金の流れを、確認できた事実と、そこから合理的に推論できる構造とに分けて、できるだけ正確に記録しておきたい。
年間35万人の子どもが沖縄を訪れる。2024年の統計によれば、沖縄への修学旅行は前年比6.1%増の2,049校、参加人数は約35万人に達した(沖縄観光コンベンションビューロー=OCVB調べ)。沖縄は修学旅行先として全国でもトップクラスの人気を維持し続けている。その多くが「平和学習」を旅行の柱に据えている。ひめゆりの塔、平和祈念公園、ガマ(壕)の見学、沖縄戦の体験者による講話。これらは沖縄戦という歴史的事実に触れるプログラムであり、修学旅行の定番として広く認知されている。私自身、この種の学びの意義を否定するつもりはない。沖縄が経験した戦争の記憶を次の世代に伝えることは、教育として本来あるべき営みだろう。
ただし辺野古の抗議船に乗ることは、その「平和学習」の標準的なプログラムには含まれていない。ここが今回の核心だ。年間2,049校が沖縄を訪れるが、ひめゆりの塔を歩くことと、辺野古沖で現在進行形の基地建設反対運動に使われている船に乗ることは、質的にまったく異なる体験である。前者は歴史を学ぶこと、後者は政治的な立場を伴う現場に身を置くことだ。同志社国際高等学校は、この後者を「平和学習」の選択コースの一つとして提供していた。集英社オンラインの報道によれば、同校の沖縄修学旅行では7つのコースが用意され、「辺野古をボートに乗り海から見るコース」はその選択肢の一つだった。37名の2年生が「先発隊」18名と「後発隊」19名に分かれ、先発隊18名が「不屈」と「平和丸」の2隻に分乗した。そして旅行会社を介さず、学校が独自にこの船を手配していた。
この「独自手配」という一語に、私は立ち止まる。一般的な修学旅行であれば、旅行会社がプログラム全体を管理し、安全管理の確認は旅行会社の責任領域に含まれる。だが同志社国際高校の場合、辺野古の海上見学については旅行代理店の東武トップツアーズの「担当外」とされた。学校が直接、ヘリ基地反対協議会の船長と連絡を取り、乗船を手配した。この経路が成立した背景には何があったのか。同志社はキリスト教主義の学校法人であり、日本基督教団の「関係学校」にあたる。船長の金井創氏は日本基督教団佐敷教会の牧師だった。この宗教的な接点については第2回で書いた。だが今回注目したいのは、もう一つの回路、つまり教育旅行の推進側に組み込まれた組織的な接点のほうだ。
沖縄県議会で一つの事実が明らかになった。2026年4月15日の県議会総務企画委員会で、沖縄県がOCVBに委託している「教育旅行推進強化事業」のアドバイザーの中に、抗議船を運航するヘリ基地反対協議会の関係者が含まれていたことが審議された。八重山日報がこれを報じている。県の担当者は「特定の団体の所属のみで判断するものではなく、求められている役割を果たせているかどうかが重要」と答弁した。形式的には間違っていない。だが構造としてみれば、沖縄の教育旅行を推進する公的事業のアドバイザーに、辺野古の反対運動を担う団体の関係者がいたということだ。教育旅行の「入口」と、抗議活動の「現場」が、同じ人物を介して接続されていた。この事実は、同志社のケースが単なる偶然の一校の判断だったのかという問いに、別の文脈を加える。
資金の流れを辿ると、別の回路が見えてくる。辺野古基金は2015年に設立された団体で、在日米軍普天間基地の閉鎖・撤去と辺野古新基地建設の中止を目的としている。寄付総額は約5億5,000万円に達し、寄付のほとんどが個人からのもので1件あたり平均約6,000円、海外からの寄付は欧州の1件のみだという(辺野古基金側の説明)。この基金の賛同団体一覧に、日本教職員組合(日教組)の名がある。日教組は全国の公立学校教員が加盟する最大の教職員組合であり、沖縄には傘下組織として沖縄県教職員組合(沖教組)がある。沖教組は公式サイトで「教え子再び戦場へ送らない」を基本理念に掲げ、平和教育の推進に組織的に取り組んでいることを明記している。
辺野古基金の支援先はどこか。独立系メディアの示現舎が辺野古基金の収支報告を分析した結果、支援先にヘリ基地反対協議会の名があった。2017年には「晴雨傘支援(ゲート前)」として、2018年には「船置き場年間借用料」としての支援が記録されている。「船置き場」とは、まさに抗議船を係留するための場所の費用だ。辺野古基金の事務局はこの関与について「関わっていない」と反論しているが、支出記録そのものは示現舎が報じている。ここで浮かび上がるのは、日教組が賛同団体として名を連ねる辺野古基金が、抗議船の物理的インフラの一部を資金的に支えていたという構造だ。
ここで私は立ち止まって明記する。日教組の資金が直接的に抗議船の運航に充てられたことを示す一次情報は存在しない。「賛同団体」は資金拠出と同義とは限らない。日教組が辺野古基金に具体的にいくら拠出したのか、その拠出金がどの支出項目に振り分けられたのかを追跡できる公開情報は、現時点では確認できていない。だから「日教組の金が抗議船を動かしていた」と断じることは、この記事ではしない。私が記録するのは構造だ。日教組が辺野古基金の賛同団体であること。辺野古基金がヘリ基地反対協議会に船置き場借用料を支払っていたこと。そのヘリ基地反対協議会が運航する船に、高校生が乗せられていたこと。これらは個別には確認された事実であり、それらを線で結ぶと一つの経路が見える。だが、その線の太さ、つまり資金がどれだけ直接的に流れていたかについては、まだ霧の中にある。
経路をもう一本、別の角度から見る。同志社国際高校が辺野古の海上見学を修学旅行に組み込み始めたのは2023年からだ。2015年頃からは浜辺からの陸上見学を行っていたが、海上コースは金井船長の提案で導入されたと報じられている。金井創氏は日本基督教団佐敷教会の牧師であり、2014年から抗議船「不屈」の船長として海上抗議活動に従事していた。「年に数件程度、学校などからの依頼でボランティアで船からの案内を引き受けていた」とキリスト新聞が報じている。つまり同志社以外にも、金井船長の船に乗った学校が存在する可能性がある。だがそれらの学校名は、事故が起きなかったために報道されることがなかった。
そしてここに一つの金銭的矛盾がある。同志社国際高校は船長3人にそれぞれ5,000円、計1万5,000円を支払っていた。産経新聞がこの金銭授受を報じ、読売新聞も同様の事実を確認している。一方、ヘリ基地反対協議会側は「ボランティアで無償」と主張していた。協議会は後に「カンパ」として金銭の授受を認めたが、両者の説明には明確な食い違いがあった。金額自体は大きくない。だが問題は金額の多寡ではなく、海上運送法は有償・無償を問わず他人の需要に応じた運送に事業登録を義務付けているという法的枠組みの中で、この金銭授受の性質がどう位置づけられるかだ。「無償のボランティア」と「5,000円のカンパ」のあいだで揺れる説明は、この運航が法的にも組織的にもグレーゾーンの中にあったことを物語っている。
ここで全体の関係性を図にしてみたい。以下は、今回の記事で確認された事実と合理的な推論を区別しながら、組織間の接続を視覚的に示したものだ。実線は確認された事実に基づく接続、点線は推定される接続を意味する。
寄付総額 約5.5億円 / 賛同団体 約1,280
構成団体に日本共産党の現地組織を含む
事業登録なし / 旅客保険なし / 出航基準の明文化なし
旅行会社を介さず独自手配 / 船長に計15,000円支払い
教育旅行推進強化事業
ヘリ基地反対協議会の関係者
佐敷教会・金井創牧師
キリスト教主義の学校法人
この図を描き終えたとき、私の中にある感情は怒りではなく、困惑に近いものだった。一つ一つの接続は、それ単体では違法でも不正でもない。教職員組合が平和運動を支持することは自由だ。基金が支援先に資金を送ることも合法だ。県の事業がアドバイザーを選任することも制度の範囲内だ。だがそれらが一つの図に収まったとき、「平和学習」という言葉の輪郭が変わって見える。年間35万人の子どもが沖縄を訪れる巨大な流れの端に、辺野古の抗議船という極めて限定的な、そして安全管理が構造的に不在だった現場が接続されていた。その接続を可能にしたのは、偶然ではなく、組織と組織のあいだに張り巡らされた複数の回路だった。
「平和」の名のもとに何が免責されてきたか。この問いは慎重に扱わなければならない。平和教育そのものを否定するつもりは私にはない。沖縄戦の記憶を次世代に伝えることの意義は疑いようがない。だが「平和」という言葉が免罪符として機能するとき、安全管理の不備も、法的な逸脱も、組織的責任の曖昧さも、すべてが「平和のためだから」というフレーズの内側に回収されてしまう危険がある。事故当日、辺野古の基地建設工事現場では有義波高が基準値を超えたために一部工事を中止していた。プロの建設事業者が「危険」と判断した海象条件のもとで、事業登録もない船に17歳の子どもたちを乗せて出航させた。この判断の背後にあった論理は、安全よりも「平和学習の遂行」が優先されるという無意識の序列ではなかったか。
沖教組の存在もまた、この構造の中にある。沖縄県教職員組合は日教組に加盟する沖縄の組合であり、「教え子再び戦場へ送らない」という理念のもと、沖縄の平和教育に深く関与してきた。その活動の多くは歴史教育としての正当性を持つものだろう。だが、沖教組が辺野古の抗議船乗船プログラムに組織的に関与したかどうかを示す一次情報は、私のリサーチの範囲では確認できていない。確認できないからこそ記録する。確認できたことと、確認できなかったことの両方を正確に残すことが、この事故を検証するうえで必要だと考えるからだ。
日教組と辺野古基金の関係を、もう少し掘り下げる。辺野古基金の賛同団体は約1,280団体に及ぶ。日教組はその中の一つであり、同様に日本民間放送労働組合連合会も名を連ねている。賛同団体であることは、必ずしも主体的な資金提供者であることを意味しない。辺野古基金の寄付の大半は個人からの小口寄付であり、組織としての大口拠出が主流ではないようだ。だが「賛同」という行為は、その団体の名前を運動の正当性の裏付けとして提供することでもある。日本最大の教職員組合が辺野古基金の賛同団体であるという事実は、教育現場と反基地運動のあいだに組織レベルの承認関係が存在することを意味する。
「リベラル」という言葉について、ここで私の考えを少しだけ書く。本来のリベラリズムは、個人の自由と権利を守り、多様な価値観の共存を認め、権力の暴走に歯止めをかけることを志向する思想だ。平和を希求すること、戦争に反対すること、それ自体はリベラルの正当な表現形態の一つだろう。だが辺野古の構造を見たとき、私が感じるのは、「平和」や「反戦」というリベラルの語彙が、特定の政治的目標に向かう運動の動員装置として組み込まれている可能性だ。教職員組合が基金を通じて抗議活動のインフラを間接的に支え、教育旅行の推進事業に反対運動の関係者がアドバイザーとして入り込み、その帰結として未成年が安全管理のない船に乗せられた。この経路を見たとき、「平和学習」は学習だったのか、それとも動員のための回路だったのか。私は結論を出さない。だが問いは置く。
一方で、この構造を描くことの危険も自覚している。辺野古の基地移設に反対する人々には、自分たちの生活環境を守りたいという切実な動機がある。騒音、事故のリスク、環境への影響。名護市の住民が反対する理由は、イデオロギーだけでは語れない。抗議船に乗って海上で監視を続けた人々の中には、純粋に自分たちの海を守りたいという思いで行動していた市民もいるだろう。そうした人々の努力を「反日ロビー」や「欺瞞」の一語で片づけることは、事実に対して不誠実だ。同時に、その運動の組織的構造の中に、教育と政治を接続する回路が組み込まれていた可能性を検証することも、不誠実ではない。両方を同時に見ること。それが私の仕事だと思っている。
辺野古基金は「海外からの資金」について明確に説明している。海外からの寄付は欧州の1件のみであり、中国からの資金流入はないという立場だ。保守系の論者からは「中国の資金が流れている」という主張がなされることがあるが、これを裏付ける一次情報を私は確認できていない。辺野古基金側の説明を覆すだけの証拠がない以上、この主張は現時点では採用しない。ただし、約5.5億円という寄付総額のうち個人の小口寄付が中心であるということは、この運動が少数のスポンサーではなく広い支持基盤に支えられていたことを示唆する。それは運動の性格を理解するうえで重要な情報だ。
私が描いた回路図の意味するところは、陰謀ではない。これは、複数の組織が「平和」「教育」「反基地」という共通の旗印のもとに緩やかに接続され、その接続の中で安全管理という最も基本的な責任が誰にも帰属しないまま放置された構造の記録だ。日教組は辺野古基金を支持していたかもしれないが、抗議船の安全基準には関与していない。辺野古基金は船置き場の費用を出していたかもしれないが、船の事業登録の有無は確認しなかった。OCVBのアドバイザーは教育旅行の推進を担っていたかもしれないが、個別の学校の安全管理を監督する立場にはなかった。同志社は金井船長を信頼していたかもしれないが、海上運送法の登録状況を確認しなかった。各主体が自分の領域で「善意」を遂行し、その善意と善意のあいだの隙間に、安全管理の空白が生まれた。17歳の命は、その空白の中に落ちた。
「教え子再び戦場へ送らない」という理念は、沖縄の教育者たちが戦後80年にわたって守り続けてきた言葉だ。その重さは疑わない。だが、戦場には送らないと誓った教え子を、安全管理のない船に乗せたのは誰だったのか。組織の善意が制度的な安全を代替できると信じてしまったとき、善意は子どもを守る盾ではなく、危険を見えなくする幕になる。この構造的矛盾を直視せずに「平和学習」の看板を掲げ続けることは、次の事故が起きる土壌を温存することと同義ではないか。
この事故のあと、いくつかの動きがあった。自民党は4月15日に政府への提言案をまとめ、原因究明、安全確保、適切な教育内容の確認を求めた。運輸安全委員会の事故調査は継続中であり、海上保安庁による海上運送法違反容疑での捜査も進行している。同志社国際高校は3月31日に第三者委員会の設置を発表した。だがこれらは、事故の「結果」に対する対応だ。問われるべきは、事故に至った「経路」そのものの検証だろう。なぜ学校は旅行会社を介さず独自に抗議船を手配できたのか。なぜ教育旅行の推進事業に反対運動の関係者がアドバイザーとして関与できたのか。なぜ教職員組合が賛同する基金の支援先に、安全管理体制のない運航団体が含まれていたのか。これらの問いに向き合わない限り、「再発防止」は形式的なものにとどまる。
私はこの回路図を描くことで、誰かを断罪したいのではない。各組織にはそれぞれの理念と動機がある。日教組には教育者としての信条がある。辺野古基金には沖縄の自治と平和への願いがある。ヘリ基地反対協議会には基地のない暮らしへの希求がある。金井牧師には信仰に基づく平和への献身があった。同志社には生徒に世界の現実を見せたいという教育的情熱があった。そのどれも、動機としては否定できない。だが動機の正しさが、安全の確保を免除することはない。「平和のため」であれば安全基準を省略してよいという暗黙の了解が、この回路のどこかに流れていたとすれば、それは平和の名を借りた構造的な無責任だ。
武石知華さんの母親がnoteに書いた言葉を私は忘れられない。「学校を信じていた」。この言葉は、信頼が裏切られたことへの静かな告発であると同時に、教育という営みの根幹にある「信頼」というインフラがどれほど脆かったかを示している。親は学校を信じ、学校は船長を信じ、船長は海を見誤り、組織は責任を引き受けなかった。その信頼の連鎖の中に、確認も検証も監督もなかった。
第5回では、この事故の時間軸を変えて見る。事故から1か月が経過した今、各当事者の対応はどう変化し、何が解決され、何が未解決のまま残されているのか。捜査の進展、第三者委員会の動向、遺族の声、そして政治的余波。時間の経過とともに見えてくるものと、逆に見えなくなっていくものがある。次の記事ではそこを追う。だが今日ここで問うておきたいことが一つある。年間35万人の子どもが沖縄に渡る、その巨大な流れの中に、いったいいくつの「確認されなかった回路」が残っているのだろうか。
この記事を書いた人
灰島
30代の日本人。国際情勢・地政学・経済を日常的に読み続けている。歴史の文脈から現代を読むアプローチで、世界のニュースを考察している。専門家ではないが、誠実に、感情も交えながら書く。


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