中国がまた少数民族の言語を潰しにきた。これは正直うんざりを超えてきている

中国がまた少数民族の言語を潰しにきた。これは正直うんざりを超えてきている アジア・東アジア

■ FLASH | 事実の核心

中国がまた少数民族の言語を潰しにきた。2025年3月、中国政府が内モンゴル自治区、チベット自治区、新疆ウイグル自治区での学校教育における少数民族語での授業を、さらに縮小する方針を打ち出したと報道された。「国家の統一と国民の共通語(普通話)能力の向上」を名目にしており、少数民族語での初等教育のカリキュラムを大幅に縮小する内容だ。これに対して現地の親・教師・文化団体から強い反発が上がっている。

正直うんざりを超えてきている、というのが私の率直な感想だ。内モンゴルでの言語教育制限(2020年)、ウイグルでの文化的抑圧(継続中)、チベットでの宗教・言語への締め付け——これらは同じ方向性を持つ政策の繰り返しだ。「また同じことが起きた」という感覚を持つ人も多いと思うが、だからこそ繰り返し問い続けることが大切だと思っている。

■ CONTEXT | 背景と歴史

中国の民族政策の歴史的変遷。毛沢東時代の中国は理論上、少数民族の文化・言語を尊重する「民族区域自治」を憲法で保障していた。しかし現実には、文化大革命(1966〜76年)期に少数民族の言語・宗教・文化が破壊された。改革開放後はある程度の緩和があったが、習近平政権(2012年〜)になって「民族の団結」「中華民族の共同体意識」を強調する方向に大きく転換し、少数民族文化への制約が強化されてきた。

2020年の内モンゴルでの言語制限と抵抗。2020年8月、中国政府は内モンゴル自治区の学校で、モンゴル語での授業を縮小し普通話(中国標準語)での授業を拡大する政策を施行した。これに対してモンゴル族の保護者・生徒が大規模なストライキ・抗議行動を起こした。中国の少数民族による抵抗としては異例の規模で、当局は強引な弾圧で抑え込んだ。

「言語の死」は文化の死だ。言語は単なるコミュニケーションの道具ではなく、思考の様式、文化の記憶、共同体のアイデンティティの担い手だ。少数民族語での教育が失われると、次世代がその言語を習得できなくなり、数十年で「母語話者のいない言語」になる。世界では毎年数十の言語が消滅しているが、「政策による意図的な消滅」は自然消滅と性質が異なる。

中国の言語政策はなぜ「統合の道具」として使われるのか。共通語(普通話)の普及は「国民の統合」と「経済的な機会の平等化」という名目で推進されている。実際、普通話ができない少数民族は雇用・教育の面で不利だという現実もある。しかし「機会の平等」を理由に、母語を奪うことが「暴力的な統合」であることは変わらない。

■ PRISM | 日本への照射

日本のアイヌ語・琉球語の状況との比較。日本でも明治以降、アイヌ語・琉球語(沖縄語)の消滅の歴史がある。学校教育での使用禁止、「日本語以外を話すな」という同化政策——これらは中国の現在の政策と相似形だ。2019年にアイヌ民族支援法が成立し、アイヌ語の保存・復興が国の責務として認められたが、現在のアイヌ語話者は数十人程度とされ、実質的な言語の「死」は既に起きている。

日本は中国の民族政策を批判できるか。日本が中国の少数民族への言語抑圧を批判するとき、自国の歴史への反省を伴うことが誠実さの条件だと私は思う。「中国は悪い」と言う前に「日本はどうだったか」を問う姿勢が、より説得力のある批判を可能にする。

日中関係における人権問題の位置づけ。日本政府は中国の少数民族問題(ウイグル、チベット、内モンゴル)について、公式には「懸念を表明する」程度の対応にとどまっている。経済関係を優先するあまり、人権問題での発言が抑制される傾向がある。これは欧米のより明確な批判姿勢と対照的だ。

■ SCENARIOS | シナリオ分析

楽観シナリオ:国際圧力が政策の一部緩和につながる。国連の少数民族権利委員会、UNESCO、各国政府からの批判が重なり、中国が「教育内容の一部において少数民族語の比率を維持する」という形の微修正を行う。「完全な撤回」ではないが、最悪のシナリオを避ける妥協が成立する可能性だ。

楽観シナリオの限界について。中国は国際批判に対して「内政干渉」として拒否する姿勢を一貫して取ってきた。国連人権機関への対応でも、批判を受けながらも政策を変えた例は極めて少ない。楽観シナリオは希望的観測に近く、私はあまり期待できないと思っている。

悲観シナリオ:「人工的な言語消滅」が完成する。2030年代以降に成長する世代は、少数民族の出身でも母語を流暢に話せない世代になる。チベット語、ウイグル語、モンゴル語は学術研究の対象としてのみ残り、生きた文化としての言語は失われる。「中華民族の統一」という政治目標の達成と、豊かな文化的多様性の喪失が同時に起きる。

文化的喪失は取り返せない。言語が一度完全に失われると、それを再生させることは極めて困難だ。ヘブライ語(イスラエルの建国と関連して復興したが、これはきわめて稀な例だ)を除けば、「死んだ言語」が日常生活の言語として復活した例はほとんどない。今起きていることが「回収不能な文化的喪失」につながる可能性を、国際社会はもっと真剣に受け止めるべきだ。

■ DATA ROOM | 数字で読む

中国の少数民族と言語の現状。中国では公認されている少数民族は55(漢族を除く)で、人口は約1億2000万人。ウイグル族は約1200万人、チベット族は約640万人、モンゴル族は約580万人とされる。UNESCOの「絶滅危機言語アトラス」では、中国の少数民族語の多くが「危機的」または「深刻な危機」に分類されており、特にウイグル語の若い世代への継承が著しく低下していると報告されている。

内モンゴルでの言語教育縮小の影響。2020年の政策変更後、内モンゴルのモンゴル語教師の数は2年間で約30%減少し、モンゴル語教材の出版が大幅に縮小されたと報告されている。2023年時点でモンゴル語での授業が行われている学校の数は2019年比で約40%減少しているという推計もある。

■ HAIJIMA’S TAKE

「またか」と言いながら、「またか」で終わらせてはいけない。中国の少数民族への文化的抑圧について書くたびに、「また同じ話か」という疲弊感を感じる読者もいるだろう。しかしその「疲弊感」こそが、問題の継続を許す最大の敵だと私は思っている。繰り返し起きるからこそ、繰り返し問い続けなければならない。消えていく言語に込められた人類の知恵と経験の豊かさを想像するとき、この疲弊感を乗り越えて書かなければならないと思う。

言語の消滅は「私たち全員の喪失」だ。チベット語が失われることは、チベット人だけの問題ではない。チベット仏教哲学の深い概念、ヒマラヤ山岳地帯の植物・気候の精緻な知識、独特の文学・詩の伝統——これらは人類の共有財産だ。その喪失は全人類の知的・文化的な貧困化だ。私はそういう観点からも、この問題を語り続けたいと思っている。

この記事を書いた人

灰島

30代の日本人。国際情勢・地政学・経済を日常的に読み続けている。歴史の文脈から現代を読むアプローチで、世界のニュースを考察している。専門家ではないが、誠実に、感情も交えながら書く。

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