また一つ、礼拝の場が標的にされた。アメリカ・ミシガン州で、ユダヤ教の礼拝所(シナゴーグ)に車が突入し、複数の死傷者が出たという報告がある。BBCの報道によれば、犯人の動機の詳細はまだ捜査中とのことだが、反ユダヤ主義との関連が疑われている。ニュースを読んでしばらく言葉が出なかった。礼拝に来た人たちがただそこにいただけで、命の危険にさらされる。そういう出来事が繰り返される。なぜこれが繰り返されるのか、という問いを考えずにはいられない。政治や社会の状況を分析すること、数字で現状を把握することは私の習慣だが、この種のニュースを前にすると、まず人間として「なぜ」と問うところから始まらざるを得ない。
アメリカにおける反ユダヤ主義的な憎悪犯罪の深刻さを示す。アメリカ連邦捜査局(FBI)の統計によれば、宗教を動機とするヘイトクライムの中でユダヤ人を標的としたものは、長年にわたって最も多い分類を占めてきた。特に2016年以降、白人ナショナリズムや陰謀論の拡散とともに、反ユダヤ的な言説がオンラインと現実の両方で増加した。2018年のピッツバーグ・シナゴーグ銃乱射事件(11名死亡)は、アメリカ史上最悪の反ユダヤ主義的テロ事件として記録されている。2019年にはカリフォルニア州のシナゴーグでも銃撃事件が起き、2022年にはテキサス州のシナゴーグで人質事件が発生した。一つの場所で一つの事件が起きるたびに、ユダヤ系コミュニティ全体が「次はどこか」という恐怖の中で生活を強いられる。この積み重なる恐怖は、単なる「統計上の事件」として処理できないものだ。
なぜシナゴーグが標的になるのかという問いを考える。礼拝所は特定のコミュニティが集まる場所であり、その意味で「集中した標的」になりやすい。しかし単純に「人が集まるから」というだけでは説明できない。シナゴーグが繰り返し標的にされる背景には、ユダヤ人に対する長年の偏見と憎悪の歴史がある。陰謀論の世界では「ユダヤ人が世界を操っている」「ユダヤ人は社会の害悪だ」という反ユダヤ的な言説が今も生き続けており、それが攻撃の動機として機能する。インターネットの普及とSNSの拡散力が、こうした言説を「主流」に見せかける効果を持っている。孤立した個人がオンラインの過激なコミュニティを通じて急進化するプロセスは、研究者によって繰り返し確認されている。今回のミシガンの事件がどのような背景から生じたかを、私たちは注視する必要がある。
ユダヤ人の歴史とホロコーストの記憶という文脈を無視できない。20世紀に欧州でホロコーストが起きたのは、長年の反ユダヤ主義が、政治的な機会(ナチス政権の台頭)と組み合わさったときだった。600万人のユダヤ人が組織的に虐殺された。この歴史は「過去の出来事」ではなく、現在のユダヤ系コミュニティにとって、今も生きている記憶と恐怖の源だ。「また始まるかもしれない」という不安は、シナゴーグへの攻撃が繰り返されるたびに刺激される。イスラエル・パレスチナ紛争が激化した2023年以降、世界各地で反ユダヤ主義的な言説と行動が増加しているというデータがある。政治的な文脈(イスラエルへの批判)と宗教的・民族的な偏見(ユダヤ人への憎悪)は、別物として区別して考える必要があるが、現実には混同されやすい。その混同が、無辜の人々への暴力につながる。
アメリカの銃社会と憎悪犯罪の関係を考える。今回の事件は車両突入だが、アメリカで礼拝所が標的になる事件の多くは銃撃を伴う。アメリカが先進国の中で圧倒的な銃所持率と銃犯罪率を持つことは、礼拝所への攻撃の致死性を高める構造的な要因だ。銃規制の議論は長年アメリカ社会を二分してきたが、礼拝所への攻撃という文脈では、「武装した礼拝所」という解決策を求める声と、「銃へのアクセスを制限すること」を求める声が対立する。セキュリティの強化(警備員の配置、バリケードの設置)も進んでいるが、コストの問題から中小規模のシナゴーグや礼拝所での対応は限定的だ。礼拝に行くだけで身を守ることを考えなければならない社会のあり方について、アメリカは向き合い続けている。
ポジティブなシナリオとして、異なる信仰を持つ人々の連帯がある。アメリカでは過去にも礼拝所への攻撃があるたびに、異なる宗教・コミュニティの人々が連帯して「共に立つ」という姿勢を示してきた。2018年のピッツバーグの事件の後、多くのモスクがシナゴーグへの連帯メッセージを発し、ムスリムのコミュニティが献金でシナゴーグの再建を支援した。こうした連帯は、社会の分断を深めようとする暴力に対するカウンターとして機能する。「あなたが標的にされるとき、私たちも標的にされる」という共感の感覚が広がることは、ヘイトクライムの抑止力の一つになりうる。宗教的な多様性を尊重する社会の成熟が、こうした連帯の基盤となる。
悲観的シナリオでは、政治的分極化が憎悪を正当化する空気を育てる。アメリカ社会の政治的分断が深まるにつれ、かつては周辺的だった反ユダヤ主義的な言説が、特定の政治勢力から「実質的な問題提起」として扱われるようになるリスクがある。陰謀論がソーシャルメディアで広まり、それを否定しないでいることが政治的に「コスト」のかかることになってきた。過激化した個人がオンラインで強化され、現実の暴力に向かうパイプラインが存在する限り、礼拝所への攻撃は繰り返されるだろう。銃規制の議論が進まない限り、その攻撃の致死性は高いままだ。この悪循環を断ち切るためには、政治指導者が明確に反ユダヤ主義を否定し、過激な言説に公的な正当性を与えないことが重要だが、それが機能するかどうかは現在の政治環境において不確かだ。
関連する数字で問題の規模を把握する。ADL(名誉毀損防止連盟)の2024年報告によれば、アメリカでの反ユダヤ主義的事件件数は2023年に過去最高水準を記録し、前年比で約140%増加した。FBIの統計では、宗教を動機とするヘイトクライムのうち、ユダヤ人を標的としたものが約55%を占め、他の宗教グループを大きく上回る。アメリカのユダヤ系人口は約710万人で、全人口の約2%だ。2010年以降の礼拝所への直接攻撃(銃撃、車両突入、放火等)は15件以上記録されており、死者は合計で50人を超える。ミシガン州デトロイト周辺にはアメリカ最大のアラブ系・ムスリム系コミュニティの一つがあり、イスラエル・パレスチナ紛争を背景とした宗教・民族間の緊張が高まっていた地域でもある。
日本から見たとき、この事件をどう受け取るべきかを考える。日本在住のユダヤ系人口は少なく、反ユダヤ主義は「日本とは縁遠い問題」と感じる人も多いかもしれない。しかし日本でも歴史的に、特定の民族・宗教・出身地を理由とした差別や偏見は存在してきた。在日コリアン、被差別部落の人々、沖縄の人々——それぞれが、マジョリティの論理で抑圧される経験を重ねてきた。「ヘイトクライム」という概念は日本では法的に明確に定義されておらず、ヘイトスピーチ解消法(2016年)があるものの、その実効性は限定的だ。アメリカのシナゴーグへの攻撃を見ながら、日本社会が「異質な他者を排除しようとする衝動」に対してどれだけ免疫を持っているかを問い直す機会にしたいと思う。差別と暴力は、どの社会にも潜在的に存在する。それを顕在化させないための制度と文化の継続的な整備が必要だ。
最後に、礼拝の自由という根本的な権利について記す。礼拝の自由は、人間の根本的な権利の一つだ。自分が信じるものを信じ、そのために集まり、祈ることができること——その権利は、安全が保障されて初めて実質を持つ。礼拝に行くことが命懸けになる社会は、何かが深刻に壊れている社会だ。ミシガンで起きたことを「遠い国の出来事」として消費して終わりにしないために、私たちは「自分の社会でその権利はどれだけ実質的に守られているか」を問い続ける必要がある。
この記事を書いた人
灰島
30代の日本人。国際情勢・地政学・経済を日常的に読み続けている。歴史の文脈から現代を読むアプローチで、世界のニュースを考察している。専門家ではないが、誠実に、感情も交えながら書く。


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