辺野古沖で作業船が転覆した一報に息を呑んだ沖縄本島北部・名護市辺野古の沿岸で、米軍普天間飛行場の移設先として工事が続けられている海域で、作業船が転覆するという一報を見たとき、私はしばらく画面から目を離せなかった。幸い人的被害の規模は比較的限定されたと伝えられているものの、広大な埋め立て工事の現場で大型の作業船がバランスを失ったという事実そのものが、この事業全体に横たわる歪みを象徴しているように感じたからだ。私はこの事故を、単独のトラブルとして片付けたくない。
事故の現場は長い対立の記憶の上にある転覆した作業船は、辺野古崎から大浦湾にかけて広がる埋め立て区域の内側で作業中だったと報じられている。これは単なる港湾工事の現場ではなく、一九九〇年代半ばから四半世紀以上にわたり日本政府、沖縄県、米国政府、地元住民、環境団体の間で激しい綱引きが続いてきた海域だ。私にとっては、船が横倒しになった映像よりも、その映像の下に積み重なってきた膨大な議論と涙の記憶の方がずっと重く感じられた。
発端は普天間返還合意にさかのぼる話を整理するには、一九九五年の米兵による少女暴行事件まで遡らなければならない。沖縄県民の怒りが頂点に達した翌年、日米両政府はSACO最終報告で普天間飛行場の「全面返還」を打ち出し、その代替施設として県内移設を条件に掲げた。当初は海上ヘリポート案、その後キャンプ・シュワブ沿岸部への代替施設案へと形を変え、最終的に辺野古沿岸の埋め立てによるV字型滑走路の建設へと落ち着いていった。私はこの歴史の節目ごとに、国が「これが最後の譲歩だ」と語ってきたのを記憶している。
地元の反対はずっと一貫していた辺野古移設に対して、地元の反応は終始冷ややかどころか、はっきりとした拒否だった。二〇一四年の名護市長選、二〇一八年の県知事選、そして二〇一九年の県民投票では、いずれも反対の意思が明確に示された。とりわけ県民投票では、投票者の七割以上が埋め立てに反対という結果が出た。民主主義の手続きを踏んだ民意の表明が、ここまで一貫して無視され続けている事業は、私の知る限り戦後日本の公共事業の中でも極めて異例だと思う。
軟弱地盤の発覚が計画を根本から揺らした技術的な問題もこの事業の行く手を暗くしてきた。大浦湾側の海底には、マヨネーズ状と形容されるほど軟弱な地盤が広がっていることが地質調査で明らかになった。最深部は水面下七十メートルを超えるとされ、世界的にも前例のない深さでの地盤改良工事が必要になる。防衛省は数万本規模の砂杭を打ち込む計画を提示したが、専門家からは工法の安定性や耐震性への疑問が相次いだ。私は、この一点だけでも計画の再検討が必要だと何度も感じてきた。
費用と工期は当初見積もりを大きく超えた事業費の見積もりも、当初の三千五百億円規模から、現在では少なくとも九千三百億円規模へと大きく膨らんでいる。工期も、当初は数年で完了する想定だったものが、軟弱地盤対策や訴訟対応の影響で二〇三〇年代半ばまで延びる見通しだ。私の感覚では、これはもはや単なる「遅れ」ではなく、事業の前提そのものが崩れているサインだ。それでも事業が止まらない背景には、日米関係の硬直した制度設計があると私は考えている。
日米同盟の象徴としての過剰な重み辺野古はいつの間にか、日米同盟の信頼性を測るバロメーターのように扱われるようになった。日本政府の関係者と話すと、「ここで工事を止めれば、同盟の信頼性が損なわれる」という言い回しがしばしば出てくる。しかし私はこの言い回しに、いつもかすかな違和感を覚える。本当に同盟の信頼性は、一つの基地の埋め立てが完成するかどうかに懸かっているのか。むしろ民意を踏みにじり続けることの方が、長期的には同盟への信頼を損ねるのではないかと思うのだ。
地政学的にみた辺野古の位置づけもちろん、沖縄の戦略的重要性は疑いようがない。東シナ海、台湾海峡、南西諸島、そして中国大陸に対するアクセスという観点で、沖縄本島は代替の効かない位置にある。米海兵隊の抑止力を維持するうえで、普天間の代替施設が必要だという論理も、安全保障の教科書的には理解できる。ただ同時に、近年のミサイル技術や無人機の発達は、巨大な固定基地の脆弱性をかえって浮き彫りにしているとも言える。私はこの点で、基地の「分散」や「機動化」の議論がもっと正面から行われるべきだと考えている。
大浦湾の生態系が払ってきた代償そして、議論から最も取り残されがちなのが海の生き物たちだ。大浦湾は、ジュゴンの餌場となる海草藻場や、多様なサンゴが群生する貴重な生態系として国内外から注目されてきた。環境アセスメントは何度か実施されてきたが、NGOや研究者の多くはその手法の妥当性に疑問を呈してきた。工事が始まってから姿を見せなくなったジュゴンの話は、私にとって象徴的だ。私たちは一つの海域の未来を、短期的な軍事合理性と引き換えに差し出してしまっているのかもしれない。
サンゴの移植は万能ではない政府側は環境配慮策として、希少なサンゴ類の移植を挙げる。だが、サンゴ礁の生態系は単なる個体の集合ではなく、水流、水温、光、共生関係が複雑に絡み合ったシステムだ。移植されたサンゴが移植先で順調に生育し続ける保証はなく、専門家の間では「環境配慮策というより政治的アリバイに近い」という厳しい評価も聞かれる。私は現場の作業員たちの努力を否定する気はないが、制度としての環境アセスのあり方には大きな疑問を持っている。
住民運動の長い歴史が教えるもの辺野古のゲート前には、長年にわたり座り込みを続ける住民たちの姿がある。高齢化が進み、中心になって運動を担ってきた人々の多くが八十代に入ってもなお現場に立つ。私は、この光景を美談として語るのは失礼だと思う。むしろ、それほどの長期にわたって行政に声を届ける手段が限られてきたという現実が露呈していると受け止めるべきだ。座り込みは、彼らに残されたほぼ最後の選択肢だった。
司法の場でも結論は見えてこない沖縄県は設計変更の承認をめぐって国と繰り返し法廷で争ってきた。しかし最高裁まで争われた複数の訴訟で、県側の主張は退けられ、国の代執行まで認められる流れとなった。地方自治の観点から見ると、これはかなり踏み込んだ判断だ。私は判決の一つひとつを非難するつもりはないが、少なくとも「地方自治と国の安全保障がぶつかったときにどう折り合いをつけるか」という根本的な問いに、日本の司法はまだ十分に答えられていないと感じている。
返還されるはずだった普天間の現在ここで忘れてはならないのが、普天間飛行場の現状だ。世界で最も危険な基地の一つとも呼ばれる普天間は、市街地の真ん中に位置し、小学校や住宅地に航空機事故のリスクを常に与えてきた。辺野古移設は、この危険を早期に取り除くための「苦渋の選択」として正当化されてきた。しかし工事が二〇三〇年代半ばまで延びるなら、その間も住民は危険にさらされ続ける。私はこの事実を、計画推進派も批判派も軽く扱ってはいけないと思っている。
財政面でも看過できない負担事業費がすでに当初想定の三倍近くに膨らみ、今後さらに増える可能性があるという事実は、財政健全化が叫ばれる日本にとって軽くない。しかも完成後も、施設の維持管理や周辺対策費は長期にわたり計上され続ける。一方で日本の防衛費全体はGDP比二%へと引き上げられつつあり、多額の装備調達と基地整備が並行して進んでいる。国民が本当にその優先順位を理解し、納得しているのかどうか。私はこの点に大きな疑問を感じている。
沖縄の経済構造を単純化してはならない基地問題を語るときによく耳にするのが、「沖縄経済は基地に依存している」という言い回しだ。しかし実際の統計を見ると、県民所得に占める米軍関係収入の比率は過去数十年で大きく低下し、近年は観光や情報通信、物流などが経済の中心になりつつある。私は、沖縄の未来を語るときに基地依存というレッテルをそのまま使うことは、事実関係としても公正さの面でも問題があると感じている。
観光客としての私たちの視線も問われている本土から訪れる観光客の多くは、美しい海と温暖な気候を目当てに沖縄にやってくる。私自身もその一人だ。しかし、その観光地の風景の向こう側に、基地問題の歴史と現在進行形の痛みが広がっていることを意識しているかと問われれば、正直なところ、十分とは言えなかった。今回の事故は、自分自身の視線のあり方も問い直す機会になった。
戦後史の負債がいまも残っている沖縄は戦後二十七年間、アメリカの施政権下に置かれ、日本本土とは異なる通貨、異なる通行ルール、異なる司法制度で暮らしてきた。一九七二年の本土復帰後も、在日米軍施設の七割以上が集中する状況は基本的に変わらない。本土の人間である私は、この偏りを「沖縄の特殊な事情」として切り離してしまいがちだったことを反省している。辺野古の問題は、戦後日本全体が先送りしてきた宿題の縮図だと思う。
情報公開の不十分さも問題を長期化させた地盤調査結果の開示の遅れ、工事計画変更の説明不足、環境影響評価のデータの扱いなど、情報公開の面でも辺野古の事業には多くの批判が寄せられてきた。政策の合理性を判断するには、国民や県民が十分な情報にアクセスできることが前提だが、その前提が揺らいだままでは議論が空回りする。私はジャーナリズムやアカデミアがもっと粘り強く情報を掘り起こすべき局面だと感じている。
事故の教訓は安全と制度の両面にある今回の作業船転覆事故については、原因究明と再発防止策の策定が不可欠だ。しかしそれと同時に、なぜこれほど長期にわたり困難な条件の下で工事が続けられているのか、制度面から問い直す必要もあると私は考える。安全対策の強化だけでは、根本的な歪みを隠すことにしかならない。私は事故調査と並行して、事業そのものの妥当性検証が行われるべきだと強く思っている。
それでも対話の道筋は残されている辺野古の問題は袋小路のように見えるが、解決の糸口が完全に失われているとは思わない。工法の再検討、費用と工期の再評価、普天間の早期危険除去策、沖縄県内外の基地負担の再分配、そして日米両政府と沖縄県の率直な対話。これらを同時並行で進める意思さえあれば、前に進む余地はまだあるはずだ。私は、この事故をきっかけに、日本社会全体がもう一度この問題を正面から考え直す契機としたい。
私たちが次世代に手渡すものは何か三十代の私は、辺野古の議論を知識としてある程度追ってきたつもりだった。しかし今回の事故を目にして、自分の理解がどれほど表面的だったかを痛感している。軟弱地盤の上に押し込まれた巨大な工事、民意との終わらない衝突、払われた環境の代償、積み上がる財政負担、そして人々の記憶。これらを次の世代に手渡す前に、私たちはもう少し誠実に向き合わなければならない。辺野古の海で起きた一隻の転覆は、そのことを静かに、しかし強く私に突きつけている。
最後に、一人の読者としての願いを込めて私はこの文章を、誰かを糾弾するためではなく、自分自身の理解を整理するために書いた。基地問題には賛否どちらの立場にも切実な論理があり、簡単に決着がつくものではない。しかし少なくとも、沖縄の海で何が起きているのかを知らないまま、遠い出来事として済ませることだけはしたくない。今回の事故を入り口に、読者の皆さんにも一度この問題の輪郭をたどってみてほしい。私はそのささやかな呼びかけを、この記事の結びに代えたいと思う。
地元経済への影響も一筋縄ではいかない基地建設の工事それ自体は、地元の建設業や関連サービス業に一定の需要を生み出してきた。長期化する工事は短期的に見れば地域の雇用を支える側面を持つ一方で、観光業や漁業といった地域の基幹産業に対しては負の影響を及ぼしている。私は、この経済的な副作用を単純に肯定する議論にも、単純に否定する議論にも違和感を覚える。どちらの側面も正直に認めたうえで、長期の視点で沖縄経済の持続可能性を議論する必要があると考えている。
国際社会から見た辺野古の映り方辺野古の事業は海外メディアや国際的な環境団体からも注目されてきた。米国内でも、沖縄の負担の偏りや環境への影響を問題視する声は存在し、連邦議会でも時折取り上げられてきた。私は、この問題を単に日本国内の内政問題として閉じ込めておくことはもはや難しいと感じている。国際社会の視線を意識することは、決して外圧に屈することではなく、自分たちの政策の整合性を客観的に点検する機会になるはずだ。
この記事を書いた人
灰島
30代の日本人。国際情勢・地政学・経済を日常的に読み続けている。歴史の文脈から現代を読むアプローチで、世界のニュースを考察している。専門家ではないが、誠実に、感情も交えながら書く。


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