中国政府が若年失業率を発表するのをやめた。これは単なる統計上の判断ではなく、中国の経済と社会の危機を象徴している出来事だ。2023年、中国政府は若年失業率が50パーセントを超えたことを報告した。その直後、この統計の発表を停止した。数字そのものが政治的な問題になったのだ。私たちが目撃しているのは、中国という大国が自国の悪いニュースを隠蔽する行為である。しかし、この隠蔽こそが、その奥底にある危機がいかに深刻かを物語っている。統計を隠すということは、現実が統計よりもさらに悪いことを暗に認めるようなものだ。
失業率50パーセント超という数字は何を意味するのか。これは先進国の若年失業率として異常に高い。日本の若年失業率は5パーセント程度、アメリカでも10パーセント未満である。50パーセントというのは、要するに中国の若い世代の半分以上が職を持っていない、あるいは職を探している状態にあるということだ。中国の人口は14億人。その中で20代から24歳までの人口は約1億7000万人だ。その半数が失業している計算になれば、8000万人以上の若い人間が職がない状態にある。この規模の失業者層は、社会的な爆発を起こす十分な圧力となりうる。
統計の定義問題が本質ではない。中国の失業統計には確かに複雑さがある。大卒者が報酬の低い仕事を拒否する場合、それを失業と数えるかどうか。農村から都市に出てきた若者が、戸籍制度による制限で正式な仕事につけない場合はどうか。こうした定義上の問題がある。しかし、定義をどう変えようとも、根本的な現実は変わらない。中国の若い世代は職に困っている。政府がこの統計発表をやめたということは、定義を工夫しても説明のつかない深刻さがあるということだ。換言すれば、若い世代の就職難は、統計の問題ではなく、経済構造の根本的な問題なのだ。
「躺平」と「摆烂」という言葉がネットで広がった。躺平は「横たわる」という意味で、レースから降りる、努力をやめるというニュアンスだ。摆烂は「腐らせる」という意味で、どうせ頑張っても駄目だから諦めるということだ。これらは単なるネットスラングではなく、中国の若い世代の心理状態を反映している。高校から大学へ、受験戦争を潜り抜けてきた若者たちが、その先に待っていたのは失業だった。教育制度が約束していた「勉強すれば良い人生が待っている」という前提が、完全に崩れてしまったのだ。だからこそ、彼らは諦める選択をしているのである。
日本の「就職氷河期世代」との類似性は無視できない。1990年代から2000年代初頭の日本でも、新卒採用を絞った企業が多かった。その時代に就職した人間は、生涯にわたって収入格差を抱えることになった。年功序列が機能しないまま、低い賃金でキャリアをスタートした人間は、その後の昇進でもハンディキャップを背負い続けた。中国の若年失業も同じような長期的な悪影響を生む可能性がある。一度失業という経験をした世代は、社会的信頼を失う。その傷跡は数十年にわたって残る。中国がいま直面しているのは、単年度の景気悪化ではなく、世代的な衝撃なのだ。
不動産危機とこの失業危機は密接に結びついている。中国の経済成長を支えてきたのは不動産セクターだ。建設業、不動産仲介業、資材業。これらの産業が直接・間接的に雇用を生み出していた。しかし、ここ数年間の不動産市場の崩壊によって、この雇用吸収源が消えた。恒大集団などの大型デベロッパーの経営危機は、単なる企業の問題ではなく、数百万人の若い労働者の職を奪った。また、不動産市場が冷え込めば、それに連動してサービス業、小売業でも人員削減が生じる。不動産というエンジンが止まれば、中国の若年雇用全体が失速するのは自然な成り行きだ。
大学進学率の上昇が、逆に失業を拡大させている。中国政府は教育拡張政策を進めてきた。より多くの若者を大学に進学させることが、経済発展の道だと考えていた。しかし、結果として起きたのは、大卒者の過剰供給だ。全員が大学に行くようになれば、大卒資格はもはや就職の担保ではなくなる。企業は採用を絞る。就職試験の競争はさらに激化する。そして、大学を卒業しても仕事がない若者が大量に出現する。これは教育投資そのものが無駄になったわけではなく、投資と産業構造のミスマッチが生じたということだ。中国の産業が大卒者を吸収できるだけの成長を遂げていないのだ。
習近平の「共同繁栄」政策はこの現状で機能していない。習政権は「共通の繁栄」を掲げて、格差縮小と一般国民の生活向上を約束してきた。しかし、現実は逆だ。若い世代ほど、仕事の機会が減少している。親世代が「豊かな中国」を経験した時代の成長は、次の世代には届かない。この約束と現実のギャップは、中国の政治的な正当性をも揺るがし始めている。政府が統計を隠すようになったのは、この政策の失敗を認めたくないからだ。
受験地獄からの脱出が解決ではなく、苦難の入口だった。中国の若者は、幼少期から受験戦争に放り込まれる。高考と呼ばれる大学入試は、人生を左右する一度きりの試験だ。このプレッシャーの中で、親たちは子どもに莫大な塾費用を投じた。留学、家庭教師、補習。中流家庭の親たちは、子どもの教育に全力を傾注した。その代償として、学位を手にしたはずだ。しかし、その先には職がなかった。人生を懸けた努力の先が失業という結末では、若い世代の絶望感は深い。そして、その絶望を政府は統計の隠蔽で対処しようとしている。
賃金の下押し圧力が産業全体に波及している。失業者が多ければ、企業の採用条件は悪化する。より低い賃金でも人を雇える状況になれば、企業がその誘惑に乗るのは当然だ。結果として、若い世代の賃金水準は、先行世代より低くなる傾向が出ている。これは経済全体の消費を冷え込ませる。若い世代が金を使わなければ、小売業やサービス業の売上も落ちる。そうなれば、また失業が増える。この負のスパイラルが、中国経済全体を蝕み始めている。
家族構造の変化が加速している。若い男性が職を持たなければ、結婚できない。中国文化では、男性が家を用意することが結婚の前提とされてきた。若年失業の拡大は、直接的に結婚率の低下に繋がる。既に中国の出生数は減少し始めている。昨年の出生数は、統計を取り始めて以来の低水準だ。若年失業と出生数の低下は、同じコインの両面である。人口減少と経済活力の喪失が、同時に進行している。
海外移住への関心が、特に若い世代で高まっている。中国から海外への移民希望者が増えている。オーストラリア、カナダ、シンガポール。こうした国々への移住を考える中国人が急増している。彼らは何かを求めて出国するのではなく、中国での未来がないと判断して出国している。この「若い才能の流出」は、長期的には中国経済の成長を阻害する。一度出国した若い世代は、帰国することは稀だ。彼らが生み出した価値、得た知識、作った人脈は、すべて移住先の国の資産になる。中国はこうして、自国の最も活動的な若者層を失っている。
日本とアジアへの就職機会を探る動きも出ている。日本の労働力不足は周知の事実だ。中国の若者の中には、日本での就職を検討している者も増えている。言語、文化的な距離はあるものの、日本の安定した雇用市場は魅力的に映る。同様に、シンガポール、香港、台湾などのアジア地域への就職希望も増加している。これは中国国内の雇用情勢の深刻さを示す一つの指標だ。自国で職がないのであれば、他の選択肢を探すのは、若者として当然の行動である。
不動産市場の回復は短期的には期待できない。政府が何度か刺激策を打ってきたにもかかわらず、不動産市場は反発しない。消費者信頼が失われ、既に多くの中国人は不動産投資を避けている。このセクターの低迷は、今後も続く可能性が高い。結果として、そこから生み出される雇用の回復も期待薄だ。となれば、中国は他の産業で雇用を吸収する必要がある。しかし、ハイテク産業やサービス産業も、既に飽和状態に向かっている。雇用を生み出すための産業が存在しないのが、中国の根本的な問題だ。
統計隠蔽は信頼喪失の加速化につながる。中国政府が失業率統計を発表しなくなったことで、国内メディアと国民の間でも疑い深さが増している。政府の発表する他の統計値も疑わしくなる。GDP成長率は本当か、インフレ率は本当か。政府の透明性が失われれば、それに連動して国民の政府への信頼も低下する。この信頼喪失は、経済活動にも悪影響を及ぼす。企業や個人が政府の統計を信じなくなれば、経営判断や投資判断も委縮する。
日本の対中ビジネス戦略も変わりつつある。中国の若い消費者層が購買力を失えば、日本企業の中国市場での売上も減少する。既に百貨店やファッション産業では、中国での販売減少が報告されている。また、中国での製造業の競争力も低下する可能性がある。若い労働力が失業している一方で、賃金が上昇すれば、中国製造業の価格競争力は低下する。こうなれば、日本企業が中国に製造拠点を置く理由は薄れる。中国とのビジネス関係は、より慎重に構築される必要が出てきた。
中国の地政学的立場も弱体化する可能性がある。経済成長の減速は、軍事支出にも影響を与える。若年失業が続けば、税収も減少する。その中で、軍事的な拡張政策を維持することは難しくなる。また、国内の不安定化に対応する資源も限定される。台湾問題、南シナ海問題など、中国が積極的な姿勢を示してきた地政学的課題でも、経済的な制約によって柔軟性が失われるだろう。
最終的には、中国社会全体の活力が奪われている。若い世代というのは、社会の最も活動的で創造的な層だ。彼らが失業し、諦めの心理状態に陥れば、社会全体の創新力は低下する。スタートアップは育たず、新しいアイデアは出現しない。既得権益層による既存産業の保護が進み、社会全体が硬直化する。これは単なる経済指標の悪化ではなく、文明としての停滞を意味している。中国の若年失業は、数字の問題ではなく、社会の未来を左右する根本的な危機なのだ。
統計を隠すことで、問題は消えない。むしろ、隠蔽によってさらに多くの人間が問題の深刻性に気づくようになる。政府が発表をやめたということ自体が、メディアを通じて周知される。隠れた情報は、むしろ推測の対象となり、噂と化す。その過程で、現実よりも悲観的な見通しが広がる可能性も高い。中国政府が直面しているのは、統計の問題ではなく、若い世代の失望と絶望に、いかに対処するかという根本的な課題なのだ。
私が最も懸念しているのは、この問題が中国国内に留まらないという点だ。中国の若年層が消費を控え、結婚や出産を先送りにすれば、中国の内需は構造的に縮小する。日本企業にとって、中国市場は依然として最大級の輸出先であり、化粧品、家電、自動車部品など幅広い分野で中国の中間層の購買力に依存してきた。その購買力の担い手となるはずの世代が、就職すらできていないという現実は、日本のビジネスモデルにも直接的な影響を及ぼす。
不動産危機との連動も見逃せない。中国では長年、不動産が家計資産の七割以上を占めてきた。恒大集団や碧桂園の経営危機に端を発した不動産市場の崩壊は、親世代の資産を直撃している。親の資産が目減りすれば、子供世代への経済的支援も細くなる。大学卒業後の生活費や起業資金を親に頼れない若者が増え、経済的自立のハードルがさらに上がる。これは単なる雇用問題ではなく、世代間の資産移転が断絶するという、より深刻な構造変化だ。
頭脳流出という静かな危機も進行している。優秀な若者ほど海外に活路を見出そうとする傾向が強まっている。オーストラリア、カナダ、シンガポールへの留学や移住を目指す中国人若年層は増加の一途をたどっており、中国の大学院修了者が国内で職を得られずに海外企業に就職するケースも珍しくない。国家が巨額を投じて育成した人材が、結果的に他国の経済成長に貢献するという皮肉な構造が生まれている。
日本の就職氷河期世代との類似性は、単なる比喩ではない。日本では一九九〇年代後半から二〇〇〇年代初頭にかけて、新卒一括採用の枠が激減し、非正規雇用に押し込められた世代が数百万人規模で生まれた。彼らの多くは四十代後半になった現在も、賃金水準や社会保障の面で不利な立場に置かれている。中国の若者が同じ轍を踏む可能性は高く、しかもその規模は日本の比ではない。八千万人を超える若年失業者を抱える社会が、どのような政治的選択をするのか。私にはまだ答えが見えない。
この記事を書いた人
灰島
30代の日本人。国際情勢・地政学・経済を日常的に読み続けている。歴史の文脈から現代を読むアプローチで、世界のニュースを考察している。専門家ではないが、誠実に、感情も交えながら書く。

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