本日4月12日、ハンガリーが投票に向かう2010年以来、ヴィクトル・オルバーン首相の下で支配されてきた国で、16年ぶりの真摯な政権交代の可能性が、現実味を帯びている。もっとも、結果はまだ投票所の中にある。だが、この選挙がもつ意味は、ハンガリー国内にとどまらない。欧州連合全体の民主主義、そして日本の外交・経済戦略にも、静かに波紋を広げるはずだ。NPRは投票日前日、TISZA党の勢いとオルバーン陣営の組織力の拮抗を伝えていた。
オルバーン政権とは何だったのか2010年の選挙で圧倒的多数派を獲得した当時、欧州はリーマン・ショック後の経済危機に揺らいでいた。ハンガリーも例外ではなく、国民は強い指導力を求めていた。オルバーンはそこに応えるように見えた。しかし、その後の行動は、民主主義の枠を次々と外していった。2011年には新憲法を導入し、行政権を強化。メディアへの圧力を段階的に強め、独立系放送局の経営を困難にさせた。司法への人事介入も進み、最高裁判官の任期を短縮したり、忠誠的な裁判官を増やしたりした。
非自由主義的民主主義という造語これを何と呼ぶか、西側は議論を重ねた。非自由主義的民主主義(illiberal democracy)という造語まで生まれた。つまり、形式的には選挙を実施し、多数決の枠組みは保つが、野党の活動を阻害し、メディアの自由を損なわせ、司法の独立を脅かすという、民主主義の中身を空洞化させる支配体制である。オルバーン自身が2014年の演説で、われわれは非自由主義国家を構築する必要があると述べたほどで、これは隠された政策ではなく、堂々たる哲学だった。それが欧州で、である。ソビエト連邦の崩壊から30年余り、中東欧は民主化の前線と見なされてきたのに。
フィデス党の選挙工学オルバーン率いるフィデス・ハンガリアン・シビック・アニオン党は、単に政権を握るだけではなく、その権力を構造的に保全する選挙システムを構築した。2011年の選挙法改正以降、ハンガリーの選挙区割りは複数回にわたり改定され、その度にフィデス有利に調整されてきた。小選挙区での投票をより重視する一方で、野党票を分散させやすい区割りに変更する。一つの地域で野党が強ければ、その区を細分化して複数区に分割し、野党候補の当選可能性を低下させる。こうした恣意的な区割りは民主主義国家でも聞かない話ではないが、ハンガリーの場合、それに加えて独立した選挙委員会が事実上なくなった。与党優位派が圧倒的多数を占める。2026年の現在、フィデスは得票率では50パーセント未満であるにもかかわらず、議席数では絶対多数を保つことが予想されている。
独立系メディアの現況2010年当初、ハンガリーには相応に独立したメディア環境が存在していた。しかし、16年間の段階的な圧力によって、その状況は劇的に変わった。国営放送・ラジオはオルバーン政権に忠実な報道に一変した。民間放送局も、段階的に圧力を受けてきた。広告収入が政権寄りの報道局に集中するよう、政府系企業が介入する。独立系新聞社は、政権批判を続けたために、税務当局から執拗な調査を受けている。結果として、ハンガリーの有権者が日常的に接する情報は、圧倒的にオルバーン政権寄りとなった。国境なき記者団(RSF)のランキングでは、ハンガリーは180か国中、今年も90位台後半という低迷が続いている。独立系メディアのオンライン展開は進んでいるが、ネット接続が遅れた高齢層には影響が限定的だ。
EUはどう対抗したか加盟国の民主主義が脅かされれば、EUの価値基盤そのものが問われる。2020年には民主主義と法の支配のメカニズムを立ち上げ、ハンガリー、そしてポーランドの民主主義後退に対して、EU資金の配分を制限する圧力をかけた。ハンガリーは数十億ユーロの復興資金にアクセスできず、経済的な締め付けを受けている。これは具体的には、EUの復興基金(Recovery and Resilience Facility)からの資金配分が凍結される形をとる。民主主義指標が改善されない限り、ハンガリーは約200億ユーロ相当の復興資金にアクセスできない状況が続いている。しかし、ここが問題だった。オルバーンは、その痛みを国民ではなく、EUの圧力として国民に説明し、反EUの機運を高めた。愛国心とEU離脱の願いが、巧妙に結び付けられた。
ウクライナ戦争がさらに複雑にした2022年、ロシアがウクライナに侵攻した際、多くのNATO加盟国がウクライナを支援する方針を鮮明にしたが、ハンガリーは異なる道を歩んだ。オルバーン政権は、ウクライナへの武器供与に反対し、ロシアとの経済関係を維持する立場を取った。2023年には、ハンガリーのエネルギーの約40パーセントをロシア産ガスに依存していた。これは単なる経済合理性ではなく、地政学的な選択だった。オルバーンはアジア太平洋戦略と称して、中国、ベトナム、シンガポールとの関係強化も進めてきた。その一環で、中国の一帯一路構想にも参加している。
ペーテル・マジャールという人物ハンガリーの野党が長年分裂していた中で、2023年に政治舞台に現れた人物がペーテル・マジャールである。彼は1974年生まれ、法学を学んだ後、弁護士として活動した。オルバーン政権下では、2014年から2019年まで司法大臣を務めており、フィデスの主要政治家の一人だった。つまり、マジャールはオルバーン体制の内側にいた人物である。その点が、彼の現在の立場を複雑にしている。政権内部で民主主義の侵害を目撃し、それに耐えられなくなったのか。それとも、権力闘争に敗北したために、造反に出たのか。その問いに対して、マジャール自身は、自分の良心と民主主義への信念に基づいて行動していると主張している。2023年、彼はTISZA党を設立し、民主主義の回復と法の支配の再構築を掲げた。若さ、エネルギー、そしてオルバーン体制への深い知識を兼ね備えた指導者として、急速に支持を集めた。
野党統一の困難さと可能性ハンガリーの野党は、かつては社会党、左派、自由民主主義勢力、中道右派、極右など、複数の政治潮流に分かれていた。オルバーンはこうした分裂を巧みに利用してきた。TISZA党の台頭によって、ようやく野党統一の可能性が生まれた。しかし、統一そのものが容易ではない。TISZA党は実質的には中道右派だが、左派との協力を模索している。左派にとっては、自らの票をTISZAに吸収されることへの抵抗感もある。アトランティック・カウンシルの分析によれば、最近の世論調査でTISZAはフィデスズ党と肩を並べるか、一部では上回るまでになっている。しかし、その得票率の集約が実際の議席数に反映されるかどうかは、まさに本日の結果を待つ他にない。
選挙システムそのものがオルバーン有利ハンガリーの選挙制度は複雑で、小選挙区制と比例代表制の混合だが、小選挙区での定数削減や投票区の恣意的な変更によって、野党票の分散と集約を困難にしてきた。さらに、メディアの圧倒的多数がオルバーン政権寄りの報道をしている。野党候補の露出は限定的だ。こうした不均等な条件下での今日の投票は、単なる一般的な民主主義の試金石ではなく、システム的な民主主義欠陥がある中での選挙という、より複雑な枠組みで読まなければならない。
ハンガリーの歴史的記憶この国の歴史は、権力と自由のせめぎあいに彩られている。オスマン帝国の統治下で、オーストリア・ハンガリー帝国の一部として、ソビエト支配下で。1956年のハンガリー動乱では、ソビエト戦車の前で、人々は自由を求めて立ちはだかった。その歴史的な記憶は、今日のハンガリー国民の心に、深く刻まれているはずだ。自由とは何か、民主主義とは何か。これらの問いに、オルバーン政権の16年間は、相反する二つの答えを提示してきた。一つは秩序と安定のためには自由は制限されてもよいという答え。もう一つは自由なくして真の秩序と安定はないという歴史的教訓である。
中国・ハンガリー関係と産業進出オルバーン政権が進めてきた親中戦略は、経済的な側面で特に顕著である。2024年から2025年にかけて、中国の電池製造大手CATL(Contemporary Amperex Technology Co., Limited)とBYD(Build Your Dreams)が、ハンガリーに大規模な電池工場進出を表明した。これらは単なる民間投資ではなく、中国政府の戦略的な産業布置の一部と見なされている。CAD工場はハンガリーに数千人の雇用を創出すると見込まれ、オルバーン政権はそれを成功の象徴として宣伝してきた。しかし、同時にこうした投資は、ハンガリーの産業構造を中国に依存させるリスクをもたらしている。TISZAが政権を握った場合、中国との産業関係は見直される可能性があり、それは経済的な混乱をもたらすかもしれない。日本の自動車企業も、中国電池企業との競争激化に直面しており、ハンガリーにおけるこうした中国の拠点構築は、日本企業にとって脅威となっている。
日本・EU EPAとの接続性2019年に日本とEUは経済連携協定(EPA)に署名し、関税の段階的撤廃を開始した。この協定はハンガリーを含むEU加盟国全体に適用される。ハンガリーにおける日本企業の進出、特にスズキ自動車の生産基地は、このEPA枠組みの中で重要な役割を果たしている。しかし、ハンガリーの民主主義が劣化し、オルバーン政権の親中・親ロシア戦略が続く場合、EU全体としての規制調和の動きが鈍化する。その結果、日本企業が享受するはずの関税削減やビジネス環境の統一化が、実現しない可能性がある。逆にTISZAが政権を握り、ハンガリーがEU統合へ向かえば、EUの規制環境もより厳格かつ統一的になり、長期的には日本企業の経営環境も予測可能になる。
日本にとっての意味直接的には、日本企業の生産拠点としてのハンガリーの位置づけが変わる可能性がある。スズキ自動車は、ハンガリーにおける重要な生産基地を有している。同社の従業員は数千人に上り、ハンガリー経済の中で無視できない存在だ。オルバーン政権下では、外国投資に対して相対的に友好的な政策がとられてきた。ハンガリーはEUの周辺に位置し、賃金も低く、労働力は質が高い。日本企業にとって、中東欧の生産基地としてアジア圏に次ぐ重要性を持っている。しかし、オルバーン政権の親ロシア姿勢や中国への接近は、西側との関係を緊張させてきた。もし、マジャール率いるTISZAが政権を握るようなことになれば、EUとの関係は修復され、ハンガリーはより西側に統合されるだろう。その場合、規制環境が厳格化し、労働基準の向上が求められ、コスト構造に影響を与える可能性がある。
EU統合の方向性一方、EU全体の統合の方向性も問われている。ハンガリーはEUの周辺に位置する国だが、中東欧全体のパイプ役としての役割は大きい。オルバーン政権が続けば、EUの内部分裂はさらに深刻化する。ハンガリーは引き続きロシア、中国との関係を深め、EU内での求心力を低下させるだろう。その結果、EUは政策決定において、より一層の困難に直面する。対ロシア制裁の強化、中国への対抗姿勢の統一、防衛産業の統合など、重要な政策決定すべてが、ハンガリーのような反対派の存在で遅延・骨抜きにされるリスクがある。逆にTISZAが勝利すれば、EU内の結束は強まり、民主主義と法の支配に基づいた統一的な対外政策の実行が、現在より容易になる。
中国との関係という焦点ハンガリーはEU加盟国でありながら、中国の一帯一路構想に最も積極的に参加している欧州国の一つだ。ブダペストと中国を結ぶ高速鉄道計画も構想されている。オルバーン政権が続けば、この親中姿勢も継続される。しかし、EUが対中警戒を強める中で、ハンガリーの背反的な立場は、より顕著になる。日本も、中国への警戒を強めている。ハンガリーが西側統合へ向かえば、日本との経済・外交的な同調性が高まる。逆に、親中・親ロシア姿勢が続けば、日本はハンガリーとの関係を、より慎重に扱う必要が生じる。CFRはハンガリーの対中接近が欧州内でいかに異例であるかを継続的に指摘してきた。
民主主義復興の実務的課題もしTISZAが政権を握ったとしても、民主主義の復興は容易ではない。16年間にわたって組織された権力構造を、数年で分解することは不可能だ。司法制度の改革には数年を要する。独立したメディア環境の再構築も、段階的な過程となる。腐敗した官僚機構の浄化も、多くの抵抗を招く。さらに、オルバーン政権下で修正された法律は、新政権によって改正されなければならないが、その過程で憲法的な議論が生じる可能性がある。ハンガリーの憲法は、2011年のオルバーン自身による改正によって、変更が容易な構造に変えられている。つまり、次政権が容易に変更できる一方で、オルバーン派も将来的に同じ容易さで変更することができるという、危険な状況にある。
今夜の開票を前に、複数のシナリオ一つは、オルバーン政権が僅差で勝利するシナリオだ。選挙システムの恩恵と、メディア支配の効果によって、得票率ではTISZAと拮抗しながらも、議席数ではオルバーン党が優位を保つ。その場合、民主主義の形骸化は深刻化し、EU内の分裂はさらに進む。EUはハンガリーに対して、より強い圧力をかけることを余儀なくされ、EU全体の効率性は低下する。二つ目は、TISZA率いる野党が勝利し、政権交代が実現するシナリオだ。この場合、ハンガリーは民主主義的な改革と、EUとの関係修復に向かう。司法の独立が回復され、メディアの自由が保証される。経済的には、EU資金への新たなアクセスが開かれ、長期的には競争力の向上が見込まれる。三つ目は、政権交代が起きるものの、オルバーン派が野党として強い影響力を保つシナリオだ。この場合、新政権は改革の実施に際して、相当な抵抗と混乱に直面する。憲法の改正、司法の再編、メディア規制の撤廃など、すべてが政治的な対立を招く。
ポジティブな展望民主主義の自己修正機能が働く可能性がある。オルバーン政権の16年間は、確かに民主主義に対する侵害を積み重ねてきた。しかし、その侵害があまりに明白であるがゆえに、国民の多くがそれに気づき、異議を唱え始めた。TISZA党の台頭は、民主主義への回帰を求める国民的な意思の表現である。投票率の上昇、野党への投票の集約、若い世代の参加など、これらのシグナルは、民主主義が絶望的に破壊されているのではなく、修復される可能性を示唆している。ハンガリーの人々が、自分たちの祖父母の時代に、ソビエト戦車の前で守ろうとした自由を、あらためて取り戻そうとしているのだ。
ネガティブなシナリオも無視できないオルバーン政権の組織力、選挙システムの有利さ、メディア支配の徹底性を考えると、TISZAが勝利する可能性は決して高くない。仮に大差で敗北するようなことになれば、民主主義的な変化への道は、一層遠ざかる。野党のモメンタムは失われ、若い世代の政治離脱が進む。長期的には、頭脳流出も加速する可能性がある。ハンガリーの才能ある人たちが、より自由な環境を求めて国を離れる。その結果、ハンガリー経済は停滞し、人口減少が進み、EUの周辺化はさらに加速するだろう。
国際的な文脈ウクライナ戦争の長期化、ロシアへの経済制裁、NATOの東方拡大への不安感。これらの要因が、ハンガリー国民の心理に影響を与えている。オルバーン政権は平和と秩序の象徴として、自らを描写してきた。一方、TISZAは西側への統合と民主主義の再構築を掲げている。この選択肢の間で、ハンガリー国民は揺れている。国家の安全保障と、内政における自由。どちらを優先するのか。それは、単なる政治的な選択ではなく、ハンガリーのアイデンティティに関わる選択である。
日本外交の視点日本はEUとの関係を重視する一方で、ハンガリーのような中東欧の個別国との関係も、戦略的に構築してきた。オルバーン政権は、反中的な日本の政策と直接的な衝突を避けるため、親日的な姿勢を示してきた。しかし、それは表面的なものであり、ハンガリーの親中・親ロシアの基本的なスタンスには変わりがない。TISZAが政権を握るようなことになれば、ハンガリーは西側統合へ向かい、結果的に日本との価値観の同調性が高まる。ただし、その場合、経済的なコストが増加する可能性も否定できない。
単なるハンガリーの国内問題ではない今日の投票は、ヨーロッパの民主主義、アメリカとEUの関係、ロシアと西側の対立、中国の影響力、そして日本を含む民主主義諸国全体の運命が、ハンガリーの投票所で、微かに、だが確実に問われているのだ。開票の結果が出るまで、国民の意思が何に向かうのかは、誰にも分からない。しかし、その意思の重さが、ハンガリー、そしてヨーロッパの歴史的な分岐点を決めることは確かである。
この選挙が示すもの民主主義と権威主義の間で揺れ動く社会の姿である。自由を求める人々と、秩序を求める人々。西側への統合を望む層と、独立した立場を守りたい層。歴史的な記憶と、現在の現実のギャップ。今夜の開票が明かすのは、ハンガリー国民がその葛藤の中で、最終的にどちらを選ぶのかということだ。その選択は、ヨーロッパの一国の問題ではなく、民主主義そのものが、この21世紀の世界で、なお有効な統治形態たり得るのかという、より根本的な問いに対する、一つの回答となるのではないだろうか。
この記事を書いた人
灰島
30代の日本人。国際情勢・地政学・経済を日常的に読み続けている。歴史の文脈から現代を読むアプローチで、世界のニュースを考察している。専門家ではないが、誠実に、感情も交えながら書く。


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