「移民が仕事を奪っている」は、政治の言葉だ。だが経済の言葉で語れば、まるで違う景色が見えてくる。2026年2月、ゴールドマン・サックスが発表した分析レポートは、トランプ政権第2期の移民弾圧がアメリカの労働市場をどう変えたかを、数字で突きつけた。純移住者数は2010年代の年間約100万人から、2025年には50万人へ、2026年にはわずか20万人へと激減する見通しだ。80%の崩落。これは政策の「成果」なのか、それとも経済の自傷行為なのか。(Fortune: Trump crackdown drives 80% plunge in immigrant employment)
数字の裏には、見えない構造変化がある。ゴールドマン・サックスの分析が指摘するのは、移民の減少がGDPを直接的に押し下げるという単純な話ではない。移民が減れば新たに労働力に参入する人が減り、失業率を安定させるために必要な月間雇用創出数(ブレークイーブンレート)も下がる。現在の月7万人から、2026年末には月5万人にまで低下する見込みだ。つまり、雇用がほとんど増えなくても失業率は上がらないという「見かけ上の安定」が生まれる。しかしこれは、経済が健全だからではなく、労働市場が縮小しているからだ。パイが小さくなれば、一人当たりの取り分が変わらなくても全体は痩せていく。(Goldman Sachs: How will declining immigration impact the US economy?)
GDPは成長している、だが雇用は死んでいる。ゴールドマン・サックスは2026年のGDP成長率を2.5%(第4四半期ベース)と予測している。コンセンサスの2.1%を大幅に上回る強気の見通しだ。だが同時に、その成長が雇用の回復にはつながらないと明言している。成長を牽引するのは関税の影響緩和と「One Big Beautiful Bill Act」に盛り込まれた法人・個人減税、そしてAIによる生産性向上だ。労働供給の拡大ではなく、生産性の上昇がGDPを押し上げるという構造は、雇用なき成長(ジョブレス・グロース)の典型的なパターンである。失業率は4.5%で高止まりし、企業は人手不足と人員過剰を同時に抱えるという矛盾した状況に置かれている。特定のセクターでは人が余り、別のセクターではどれだけ求人を出しても応募がない。農業、建設、食品加工、介護といった肉体労働の現場は慢性的な人手不足に苦しみ、一方でテクノロジーや金融セクターではAIの導入による人員削減が加速している。アメリカの労働市場は「二つの国」に分裂しつつある。(Goldman Sachs: 2026 US Economic Outlook)
農業セクターでは、崩壊がすでに始まっている。米国農務省のデータによれば、農業労働者の70%以上が海外出身で、そのうち40%以上が不法滞在者だ。2025年3月から7月にかけて、農業部門の雇用は15万5000人減少した。前年同期が2.2%の増加だったことを考えれば、異常な逆転だ。ワシントンはICE(移民関税執行局)と国境警備隊に2029年9月までに1700億ドルの追加予算を注ぎ込み、年間100万人以上の強制送還を目標に掲げている。だが、その「成果」の先にあるのは、収穫する手がない畑と、価格が高騰するスーパーの棚だ。カリフォルニアの果樹園では、熟した果実が木になったまま腐っていく。テキサスの酪農場では、搾乳作業員が足りず、乳牛の健康状態が悪化している。フロリダのトマト農家は、収穫期に人が集まらず、出荷量を3割以上減らした。これらは統計の向こう側にある、具体的な崩壊の風景だ。(WPR: Deportations are set to explode — a huge worry for farmers)
政権自身が矛盾を認めている、という異常事態。2025年10月、米国労働省は規制申請書類のなかで驚くべき一文を記した。「不法移民の流入がほぼ完全に停止し、合法的な労働力も不足している結果、生産コストに重大な混乱が生じ、国内の食料生産と消費者物価の安定が脅かされている」。政策を推進する当事者が、その政策の副作用を公式文書で認めているのだ。それでも方針は変わらない。代わりに政権が打ち出したのは、H-2Aビザ(農業臨時労働者ビザ)プログラムの賃金引き下げと、住居費の雇用者控除を認めるという措置だった。つまり、移民を追い出しておきながら、別の移民をより安い賃金で連れてくるという、政策の自己矛盾そのものだ。(CalMatters: Trump administration moves to cut farmworker pay)
全米農業労働者組合(UFW)は、この矛盾に法廷で異議を唱えた。H-2A賃金の引き下げが実施されれば、国内の農業労働者がゲストワーカーに置き換えられ、年間24億6000万ドルの賃金が労働者から雇用者に移転すると試算されている。「アメリカ人の雇用を守る」という大義名分で始まった移民弾圧が、結果としてアメリカ人農業労働者の賃金を引き下げ、外国人臨時労働者に仕事を奪われるという皮肉な帰結を生みつつある。政策の意図と結果のあいだに、これほど大きな溝が開くことは珍しい。農業団体は超党派で移民制度改革を訴えているが、選挙を意識した議会は動こうとしない。現場の悲鳴は、ワシントンまで届いていない。(Civic Media: Farmers push for immigration reform)
建設業もまた、静かに出血している。アメリカン・イミグレーション・カウンシルの報告によれば、建設・農業・接客業を合わせると、250万人以上の不法滞在労働者が働いている。左官、石工、内装工、屋根職人の3分の1以上が不法滞在者だ。不法移民の集中度が高い10州では、建設業の雇用が0.1%減少した一方、その他の州では1.9%増加している。労働力が消えた地域とそうでない地域のあいだに、可視的な格差が生まれている。住宅建設の遅延は住宅価格の上昇を通じて、移民とは無縁だと思っている中間層の生活をも圧迫し始めている。全米住宅建設業者協会は、労働力不足が住宅建設コストを1戸あたり平均で1万ドル以上押し上げていると報告している。新築住宅の着工遅延は平均で2〜3カ月に達し、住宅市場全体の供給不足をさらに悪化させている。(American Immigration Council: Immigration toll on local economies)
大恐慌以来の「人口純流出」という衝撃的な数字がある。Fortune誌が報じたところによれば、米国から出ていく人の数が入ってくる人の数を上回る「純流出」が、大恐慌(1930年代)以来初めて発生した。2026年の純移住は、マイナス92万5000人からプラス18万5000人の範囲と推計されている。最悪の場合、100万人近い人口が純減するということだ。この流出は移民だけでなく、米国市民の海外移住も含まれている。「自由の国」から人が逃げ出しているという事実は、政策の成否を超えた、より深い問題を示唆している。ソウル経済日報が報じたところでは、ヨーロッパへの米国市民の移住が急増しており、ポルトガル、スペイン、ドイツへのビザ申請が前年比で30〜50%増加している。高学歴・高スキル層の流出は、まさに「頭脳流出」の様相を呈し始めている。(Fortune: More people are moving out of the U.S. than moving in)
人口の純流出は、38.8兆ドルの国家債務をさらに悪化させる。デロイトの研究が示すように、移民は連邦財政に対して「歳入が歳出を上回る」正の効果をもたらしてきた。不法移民ですら、連邦税に468億ドル、州・地方税に293億ドルを納めている。労働力人口が縮小すれば税収基盤が痩せ、社会保障やメディケアの負担比率が上昇する。2026年度の国債利払い費は1兆ドルを超え、2020年の3450億ドルからほぼ3倍に膨張している。ジェローム・パウエルFRB議長は「39兆ドルの債務は持続不可能ではないが、この軌道は良い結末を迎えない」と警告した。移民の減少は、この軌道をさらに急勾配にする。労働力人口の縮小は、社会保障制度の持続可能性を根本から揺るがす。現役世代と退職世代の比率が悪化し、一人当たりの負担が増大する。財政の時限爆弾に、移民弾圧が新たな信管を差し込んでいるようなものだ。(Deloitte: Immigration impact on US economy)
850万人の米国市民が、この政策の直接的な巻き添えになっている。アメリカン・イミグレーション・カウンシルによれば、「混合世帯」(家族のなかに不法滞在者と市民が混在する世帯)に暮らす米国市民は850万人にのぼる。世帯の稼ぎ手が強制送還された場合、平均で世帯収入の半分以上が失われる。子どもたちは片親を失い、住宅ローンは払えなくなり、地域のコミュニティは崩壊する。「不法移民の問題」と切り分けられているものの実態は、アメリカ人家庭の問題そのものだ。(American Immigration Council: Mass Deportation)
マクロとミクロ、両方の数字が同じ方向を指している。ペン・ウォートン予算モデルの試算では、大量強制送還はGDPを4.2%から6.8%縮小させる。これは2007〜2009年の大不況(4.3%の縮小)に匹敵するか、それを上回る規模だ。ブルッキングス研究所のメトロモニター2026は、過去10年間の移民流入と地域経済のパフォーマンスのあいだに明確な正の相関があることを示した。移民が多い都市圏ほど、雇用成長率が高く、イノベーション指標が良い。移民を排除することは、経済の活力そのものを排除することに等しい。(Penn Wharton: Mass Deportation fiscal and economic effects)
AIがこの方程式をさらに複雑にしている。ゴールドマン・サックスの別の分析によれば、AIによる雇用喪失は月間1万6000件に達しており、その影響はZ世代の若年労働者に集中している。移民の減少とAIによる雇用の置き換えが同時に進行する労働市場は、これまでのどのモデルでも想定されていなかった状況だ。高スキル労働はAIに置き換えられ、低スキル労働は移民の排除で空白になる。そのあいだに挟まれた「中間層の仕事」が、本当に米国生まれの労働者に回ってくるのかどうか。データが示す答えは、否定的だ。雇用の二極化はすでに進行しており、消えた中間層の仕事は戻ってこない。移民政策とAI政策を別々の問題として扱い続ける限り、この構造的な歪みは拡大する一方だ。(Fortune: AI is cutting 16,000 U.S. jobs a month)
「移民を追い出せば仕事は戻る」という物語は、すべてのデータに反している。ゴールドマン・サックス、ブルッキングス、ペン・ウォートン、デロイト、アメリカン・イミグレーション・カウンシル、そしてトランプ政権自身の労働省ですら、移民弾圧が労働市場と財政に負の影響を与えることを認めている。それでも政策は進む。政治的な支持基盤に響くナラティブが、経済的な現実よりも強いからだ。しかし、スーパーの棚に並ぶ食品の価格は、ナラティブでは制御できない。建設現場の人手不足は、演説では埋まらない。38.8兆ドルの国家債務は、政治的修辞によって返済されることはない。私たちが見ているのは、政策の「成功」がそのまま経済の傷口になるという、極めて珍しい光景だ。その傷口がどこまで広がるかは、2026年の残りの月日が教えてくれるだろう。ただひとつ確かなのは、経済は政治的なスローガンでは動かないということだ。人は数字であり、労働力であり、消費者であり、納税者であり、そして隣人だ。その人々を排除したとき、空いた穴を誰が埋めるのか。その問いに対する答えを、アメリカはまだ持っていない。
この記事を書いた人
灰島
30代の日本人。国際情勢・地政学・経済を日常的に読み続けている。歴史の文脈から現代を読むアプローチで、世界のニュースを考察している。専門家ではないが、誠実に、感情も交えながら書く。

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