交渉が始まった、らしい。2026年3月26日、トランプ大統領はSNSに「イランとの話し合いは現在進行中であり、非常に順調だ」と投稿した。その数時間後、ホワイトハウスはイランの電力インフラへの攻撃を4月6日まで延期すると正式発表した。米国とイスラエルがイランへの大規模攻撃を開始してからほぼ1か月が経つ。ようやく何かが動き始めたのかもしれない。しかし私は素直に喜ぶことができない。なぜなら、イラン政府はこれと同じ日に「米国との交渉は存在しない」と改めて否定しているからだ。ブルームバーグの報道によれば、トランプ政権は軍事的な圧力を高めながら同時に外交的接触を求めるという、矛盾しているようで計算された二重戦略を展開している。一方が「話し合い中」と言い、もう一方が「話し合いはない」と言う——この奇妙な状況こそが、現在の米・イラン間の力学を象徴している。
戦争の始まりを整理しておく。2026年2月28日、米国とイスラエルは数十年で最大規模とされるイランへの軍事作戦を開始した。この攻撃でイランの最高指導者アリー・ハメネイー師が命を落としたと伝えられており、イランの政治システムそのものへの直撃弾となった。イランは即座に反撃に転じ、世界の原油・LNG供給量の約20%が通過するホルムズ海峡を事実上封鎖した。3月26日時点の死者数はイランだけで1750人以上、子どもが217人含まれており、革命防衛隊を含む軍関係者だけでも1167人が死亡したと報告されている。イスラエルによるレバノン攻撃でも1116人が死亡し、3229人が負傷した。この中には医療従事者42人、子どもが121人含まれている。数字を並べると、この戦争がいかに破壊的で、かつ解決の糸口が見えにくいかが伝わってくる。
トランプの「15項目平和案」が明らかになった。米国の特使はパキスタンを仲介者として、イランに15点の停戦条件を送付した。その内容は広範で、強硬だ。第一に、イランが主要核施設を3か所すべて解体すること。第二に、ウラン濃縮活動を全面的に停止すること。第三に、弾道ミサイルの開発と保有を中断すること。第四に、ヒズボラ、フーシ派、イラク系民兵組織など、イランが支援するすべての代理勢力への資金・武器・訓練の提供を停止すること。第五に、ホルムズ海峡を即時再開すること。これらの条件をすべてイランが飲んだ場合に限り、米国は核関連制裁を解除し、イランの民間核プログラムの発展を支援するという。私にはこれが「交渉の出発点」には見えない。イランが1979年以来、数十年をかけて構築してきた安全保障の全てを一気に手放すことを求める、事実上の降伏要求だ。もしあなたが交渉相手だったとして、相手のすべての資産を捨てろと言われた状態で、テーブルに着く気になれるだろうか。
イランの国内政治が妥協を難しくしている。1979年のイスラム革命以来、イランの国家体制は「大国への抵抗」を正統性の根拠としてきた。ホメイニー師以来の革命的イスラム主義の論理においては、米国は単なる外交的な競争相手ではなく「大悪魔」と呼ばれる存在であり、その要求に従うことは体制の自己否定にほかならない。ハメネイー師が死亡した今、後継者とされる体制内の強硬派は、自らの正統性を示すために米国への強硬姿勢をさらに強める必要がある。最高指導者の椅子をめぐる内部権力闘争が行われている今、「米国と交渉した」という事実は、候補者を弱体化させる材料として使われかねない。つまりイランが「交渉はない」と言い続けることは、単なる外交的修辞ではなく、体制の生存戦略でもある。
しかし水面下では何かが動いている可能性が高い。歴史は、イランが対外的に強硬姿勢を維持しながら秘密裏に交渉を進めた事例をいくつも知っている。2015年の核合意(JCPOA)がまさにその典型だ。バラク・オバマ政権とイランは、公式には「交渉は困難」という立場を崩さないまま、オマーンを仲介者として数年間にわたる秘密接触を行い、最終的に包括的な合意にこぎつけた。今回も、パキスタンが正式な仲介役を務めている事実は、何らかの非公式な伝達チャンネルが存在することを強く示唆している。また、トランプが「話し合いは順調だ」と具体的に述べた点も、単なる楽観的な言葉遊びとは考えにくい。何らかの具体的なシグナルがイラン側から発せられているからこそ、このような発言が出たと見るのが自然だ。
イランが提示した条件も知っておく必要がある。イランは非公式に、停戦の条件として二点を要求しているとされる。一つは、米国がイランへの軍事攻撃に対する賠償金を支払うこと。もう一つは、米国がイランの「ホルムズ海峡に対する主権行使」を正式に認めること。後者の要求が意味することは深刻だ。ペルシャ湾への米国の軍事展開の正当性を否定することであり、1980年代以来続いてきた米国の中東における軍事的プレゼンスの根拠を揺るがすものだ。米国の歴代政権が絶対に受け入れられない要求を、イランはあえて前面に掲げることで、「交渉したくても交渉できない」という状況を作り出しているとも解釈できる。双方の「最大の要求」が対立の構図を演じているうちは、表向きの交渉は動かない。問題は、その背後で何が動いているかだ。
パキスタンの仲介役としての立場を見る。パキスタンがトランプの15項目をイランに届けた仲介者であることは、この国が持つ独特の地政学的位置を示している。パキスタンはイランと国境を接し、シーア派の多いバルチスタン州を抱え、かつ米国とも防衛協力関係にある。核保有国でもあり、アフガニスタン情勢を通じて中東と中央アジアをつなぐ「結節点」としての役割を担ってきた。パキスタンにとって、この仲介がうまくいけば国際的な地位を高める絶好の機会だ。同時に、仲介を引き受けることでイランとの関係を維持しつつ、米国からの外交的信任も得るという実利もある。今回の仲介は、パキスタンが自国の外交的影響力を最大化しようとする合理的な選択と読める。
サウジアラビアが仲介に加わった意味を考える。パキスタン、サウジアラビア、トルコ、エジプトの4か国外相がイスラマバードで会合を開いた。この顔ぶれの中で、サウジアラビアの存在が特に興味深い。同国はスンニ派の盟主として、シーア派国家イランとは長年にわたって代理戦争を含む激しい対立を繰り広げてきた。イエメン内戦もその一側面だ。しかしホルムズ海峡の封鎖はサウジ自身の石油収入にも打撃を与えている。「イランが嫌い」という感情より、「自分たちの経済が傷つく」という現実のほうが行動を促す——これは国際政治の常だ。2023年に中国の仲介でサウジとイランが国交正常化したことを覚えているだろうか。当時も多くの人が驚いた。今回の4か国会合は、そのような「敵同士が利益のために協力する」という中東外交の実用主義的な側面が改めて表れた場面だった。
フーシ派の初参戦が情勢をさらに複雑にした。3月28日、イエメンのフーシ派がイスラエルへのミサイル攻撃を初めて実施したと報告された。フーシ派はイランの革命防衛隊から資金・訓練・武器の提供を受けるシーア派武装組織で、2023〜2024年の紅海危機でも国際商船を標的にした実績がある。この参戦により、紛争の地理的範囲はイラン本土、レバノン、ガザ、そしてイエメンを結ぶ弧状の多面的な戦場へと広がった。イスラエルにとっては、北(ヒズボラ)、南(ガザ)、東(イラン)に加え、さらに南東方向(イエメン)からの脅威という四面楚歌の状況になりつつある。停戦交渉の複雑さも増す。たとえ米国とイランが何らかの合意に達しても、フーシ派が独自の判断でイスラエルへの攻撃を続ける可能性は排除できない。フーシ派はイランの「代理勢力」ではあるが、完全にテヘランのコントロール下にあるわけではないからだ。
強制外交の論理とその前提条件を理解する。トランプ政権が採用しているのは、「強制外交」と呼ばれる手法だ。軍事的圧力を背景に脅しをかけながら、相手が「戦い続けるコスト」と「交渉で得られる利益」を比較検討し、合理的に交渉を選ぶよう仕向ける戦略だ。4月6日にイランの電力網を攻撃すると予告することで、交渉に応じなければさらなる打撃があると示している。同時に、「話し合いは順調だ」と発言することで、相手が「名誉ある撤退の出口」を見つけやすくする。理論的には整合性のある戦略だ。しかし強制外交には根本的な前提条件がある。相手が「純粋な利益計算に基づいて行動する合理的主体」であること、だ。もし相手の指導層が「敵への屈服は死より恥ずかしい」というイデオロギー的確信を持っているなら、どれだけ圧力を高めても理論通りには動かない。イランの最高指導者層が今、どちらの論理で動いているか——そこが最大の不確実性だ。
4月6日のデッドラインを前に日本が置かれた状況を見る。この戦争は日本人にとって「遠い中東の話」ではない。日本の原油輸入の93.5%が中東に依存し、そのほぼすべてがホルムズ海峡を経由する。三井商船の船舶がすでに被弾し、28隻の日本関係船舶がペルシャ湾に足止めされている。朝日新聞の世論調査では国民の90%が経済への影響を心配していると答えた。日本政府は3月16日から石油備蓄の放出を開始したが、これは「時間を買っている」状態に過ぎない。4月6日以降に米国がイランの電力網攻撃に踏み切り、イランがさらなる報復措置として完全な海峡封鎖を強化するなら、日本のエネルギー危機は一段と深刻になる。デッドラインまで残り数日、日本外務省は積極的な外交行動を取るべき局面に入っている。
今後の展望を率直に述べる。4月6日のデッドラインは最初の重要な分岐点だ。私の見立てでは、この日までに完全な停戦合意が成立する可能性は低い。しかし、イランが商業船舶向けに部分的な通航を認めるジェスチャーを示し、トランプがそれを「交渉前進」として電力網攻撃を再延期するという展開は十分あり得る。イランもエネルギー輸出が止まっており、国内経済への打撃は深刻だ。ホルムズを完全に封じ続ける体力は長くは続かない。米国もこれ以上の軍事エスカレーションは国内世論と財政の両面で重荷になっている。両者には「顔を立てながら落としどころを見つけたい」という共通の動機がある。全面的な解決ではなく、「戦闘停止と段階的交渉」という形の部分的な着地を探る流れが、今後4週間の焦点になる。日本は仲介外交の可能性を模索しながら、エネルギー調達の多角化を急ぐべきだ。危機は脅威であると同時に、構造改革を加速させる機会でもある。
トランプの「強制外交」が抱えるもう一つの危険。今回の米イラン戦争において、トランプ政権がとる「軍事的圧力と外交的接触を並行させる」手法には、もう一つ見逃せないリスクがある。それは「エスカレーション・ラダー(エスカレーションの梯子)」の問題だ。脅しをかけて相手が動かない場合、脅しを実行に移さないと「信頼性が低下」するという判断が働き、さらなるエスカレーションへと進みやすくなる。4月6日にイランの電力網を攻撃してもイランが動かなければ、次は何を攻撃するか。その先に何があるか——この問いに答えられる人間は今、ホワイトハウスにもペンタゴンにもいないだろう。「勝てる戦争」と「終わらせられる戦争」は別物だ。今まさに問われているのは、後者を実現できるだけの外交的知恵と政治的意志があるかどうかだ。この問いの答えを、世界は固唾を飲んで待っている。
日本政府に求められる行動は明確だ。日本はエネルギー危機の当事国として、停戦に向けた外交に今すぐ積極的に参加すべきだ。現在の4か国外相会議(パキスタン・サウジ・トルコ・エジプト)に日本がオブザーバーとして関与することや、バチカンや中立国(スイス、カタール)を通じた独自チャンネルの活用を検討することは、決して非現実的ではない。1973年のオイルショック以来、日本は「エネルギー安全保障」を国家の最重要課題として位置付けてきたが、その割にイランを含む中東諸国との独自の外交関係を十分に構築してきたとは言えない。今こそ、エネルギーの観点から積極的な「中東外交」を展開し、停戦プロセスに貢献できる独自の立場を作るべきだ。
出典:Bloomberg

コメント