SNS依存の訴訟が始まった。ちょっと気になるニュースを見かけた。BBCが報じたこの記事によると、アメリカで「インスタグラムに1日16時間費やしていた」とされる少女が、メタを相手取って起こした訴訟が陪審員審理に入ったという。これはいわゆる「SNS中毒」をめぐる集団訴訟の先例となる重要な裁判で、世界中から注目が集まっている。1日16時間というのは、起きている時間のほぼすべてをスマホ画面に費やしていたことになる。これは正直きつい話だ。
訴訟の核心は「意図的な設計」にある。訴訟の争点は、メタがインスタグラムをわざと依存性が高くなるように設計したかどうか、という点だ。原告側は、アルゴリズムが「次のコンテンツ」を延々と供給し続ける仕組みや、通知機能が人間の心理的な「報酬回路」を刺激するように意図的に作られていると主張している。対してメタ側は、あくまでユーザーが自分で選んで使っているプラットフォームであり、責任は問えないという立場をとる。どちらの主張も一定の説得力があるだけに、陪審員がどう判断するかは本当に読めない。
テック企業と責任の問いは歴史が長い。なぜこういう訴訟が今アメリカで起きているのかというと、背景には「テック企業の設計責任」をめぐる長年の議論がある。たばこ会社が依存性をわかっていながら製品を売り続けたとして訴えられた1990年代の訴訟と、構造的に非常に似ている。アメリカという国は、こうした社会的問題を司法の場で白黒つけようとするところが強みでもある。陪審員制度を通じて市民の感覚を判決に反映できる点は、法の民主主義的な側面として素直に評価できる。この訴訟が先例となれば、テック企業の設計責任に関する法的な基準が世界的に変わるかもしれない。
ネット上でも同様の声は多い。X(旧ツイッター)で「She spent hours」と検索してみると、似たような体験を語る声が英語圏でもかなり見つかる。「自分も気づいたら何時間も過ぎていた」「やめようと思ってもやめられなかった」というコメントが少なくない。これはある特定の弱い人間の話ではなく、多くの人が共感できる体験として広がっている。だからこそこの訴訟が「集団訴訟の先例」になりうる、という点に重みがある。
日本でも他人事ではない問題だ。この訴訟は日本にとっても決して遠い話ではない。日本でもスマートフォンやSNSへの依存が特に若い世代で問題視されており、子どものスクリーンタイムをどう管理するかは保護者の間で大きな関心事になっている。また、日本はメタやグーグルといった海外プラットフォームを規制する法整備がまだ十分とは言えない段階にある。一方で、日本社会には「節度を重んじる」という文化的な下地があり、スクリーンタイムの自己管理に関する議論が比較的受け入れられやすい土壌もある。今回の訴訟の結果次第では、日本の行政や企業側にも対応を迫るきっかけになりうる。
結果によって業界全体が動く。ポジティブなシナリオとして考えられるのは、この訴訟で原告が勝訴した場合、メタをはじめとするSNS各社がアルゴリズムやUI設計を見直す圧力にさらされるという展開だ。実際にフェイスブックの内部告発者がかつて「会社は子どもへの悪影響を知っていた」と証言しており、企業内部のデータや資料が法廷に出てくることで、業界全体の透明性が増す可能性がある。それは結果的に、日本を含む世界中の利用者にとってプラスになる。一方でネガティブなシナリオとしては、仮にメタ側が勝訴した場合、「プラットフォームは責任を負わない」という法的お墨付きが与えられ、むしろ企業が大胆な設計を続けるための盾になりかねないという懸念がある。さすがにそれはまずいと個人的には思う。
今後のカギは「設計の意図」をどう立証するかだ。この裁判で最も重要になるのは、企業内部のメールや会議資料など、「メタが依存性を意図的に設計した」と証明できる証拠がどれだけ出てくるかという点だろう。たばこ訴訟では内部文書の開示がゲームチェンジャーになった。同じ構図がSNS訴訟でも起きるかどうかが鍵になる。もし陪審員が「意図的な設計」を認定すれば、今後数千件とも言われる関連訴訟が一気に加速し、テック企業の責任論が法制度の上で確立されていく。日本もその動きをただ眺めているのではなく、国内の制度整備に向けた議論をいまから始めるべきタイミングに来ていると思う。
出典:BBC World


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